2007年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「心のやさしい女の子になりたい」

リュ− ソマン
中国


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 日本に来ている今現在、もし将来の夢は?と聞かれたら、「心のやさしい女の子になりたい」と真っ先に答えるでしょう。なぜなら、日本に来てから毎日京都のやさしい雰囲気に囲まれ、もうそう思わずにはいられないからです。

実は、以前の私なら、まったく逆タイプの、ちょっとクールでかっこいい女の子を目指していたんです。というのも、自分がぜんぜんやさしいタイプじゃないことがよく分かるからです。料理もできない、家事もしたくないがために、「このままだと40歳になってもお嫁にいけないよ」と母に注意されたら、「料理もできる、家事も好きな男の子と結婚するから大丈夫」と、生意気に答えもしました。

しかし、そんな私でも、ここに来たあと、周りに溢れているやさしさに心を打たれているのでした。

十月のある日、関西国際空港に着いたとき、迎えに来てくれた日本学生支援機構の皆さんが、優しい笑顔を浮かべ、「お疲れ様でした」と丁寧に言ってくれました。初めての日本が、暖かかったです。

翌日、タクシー運転手さんのおじさんが、駅からおうばくへの途中、親切に京都の名所や歴史をいっぱい紹介してくれました。しかし、私の日本語理解力もまだまだですし、おじさんの京都ベンもあまりにも生粋でしたので、残念ながらほとんど聞き取れませんでしたけど、親切なおじさんのこと、おじさんの笑顔をその日の日記にしっかりと書き留めました。

その日市役所にも行きました。記入の際に、間違った文字を一つずつ直してくれて、退勤時刻になったにもかかわらず、いやな顔をひとつせず最後まで手続きをしてくれた市役所の方々の姿にも、私たちは暖かいものを感じました。

今は生活も落ち着き、食べられる料理を自分で開発する毎日を楽しんでいます。方向音痴の私は、道に迷わないように、「名探偵コナン」に出てくる、京都の方向を教えてくれる手鞠歌を暗記しましたけど、それでもよく迷います。ある日、スーパーが見つからなくて、押し車を押しているおばあちゃんに道を聞いたら、なんとおばあちゃんは目的地まで私たちを連れて行ってくれたのでした。途中でお話を伺ったら何ともう90歳のご高齢だそうです。100歳を目標に、頑張っているとおっしゃいました。買い物が終わってスーパーの出口でたまたま、またおばあちゃんをお見かけしました。おばあちゃんは「ご縁があるのね、きっとまたどこかで会えるよ。」と、暖かく微笑んで下さいました。

こんな優しさと笑顔が溢れる環境の中で暮らしている私は、自分でもやさしい女の子になりたいと思うようになったのです。

実は、不思議ですけど、日本に来る前、私も、「優しい」と評価されることさえありました。

それは、元のクラスメート、アトさんからの評価です。

アトさんは、もともと理科の学生で、成績のために、日本語学科に配属されてしまった、静かな男の子です。彼は、大学に入って半年も経たず、パソコンゲームやインターネットに夢中になっていました。

二年後期になったら、彼はもう授業にもあまり出なく、試験さえ受けない状況にありました。たまたま授業に出ても、教室の雰囲気とまったくしっくりしない、ただ呆然としていたのです。こんな彼と二人組みで、会話練習をするのは、実は、どうしようもない気持ちでした。時間が大変限られたのに、彼がずっと黙った様子を見たら、私はちょっといらいらしました。仕方なく、彼の言いたいことを一つずつ教えるようにするしかなかった。親切そうには見えたでしょうが、心の中は、自分の練習時間まで使われてしまったことにすこし不快も感じました。

彼は、それから間もなく、一年休学届けを学校のほうに出しました。戻ってくるときには別のクラスに入るそうで、もう、パートナーになって一緒に練習する機会は多分ないでしょう。

私が日本に来る前日、彼が次のようなショートメールを送ってくれました。

「ソマンさんがいつも僕のことを思って、言い聞かせてくれた。本当にやさしい。今まで、どうもありがとう。僕がんばるから、ソマンさんも頑張って」と。

私は、そのショートメールを読んだとき、なんだか、悔しくて、涙も出そうまでになってしました。私は、苦しかった。なぜなのか、そのときの私には、ちっとも知らなかった。

今の私なら、ちょっと分かるような気がします。

形だけの優しさは、本当の優しさじゃない。やさしい心がなければ、やさしいとは言えない。本当の優しさは、春風のように、やわらかくても、心を暖かくする力を持っている。

たとえば、図書館は週末休館ですけれども、週末返却用の本棚が用意してあります。たとえば、竜安寺は目の不自由な方のため、ミニ石庭を丹念に作っておきます。たとえば、たとえば。

ということで、本当は将来の夢は日本語の先生になることとお嫁に行くことです。でも、今、この夢はこうなりました。30歳ぐらいに心のやさしい日本語の先生になりたい!そして40歳までには心の優しいお嫁さんになりたい!最も、もっと早くなれたらいっそう理想的ですが……

そのため、そして、アトさんとの約束のためにも、私はこの一年を決して無駄にしません。京都の優しさにどっぷり浸かっていくこれからの毎日を大事にして、人の優しさを大事にして、本当の心の優しい女の子になるのです。
以上です。ご清聴、どうもありがとうごいました。


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