2007年外国人による日本語弁論大会 発表原稿 |
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「京都からのプレゼント」 |
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キム フジン 韓国 アルバムは下です。 |
はじめまして。
私は韓国のデグというところから今年、京都の精華大学に交換留学生として来ているキムフジンと申します。 去年、韓国の母校と協定を結んでいる日本の色んな姉妹大学の中でなぜ京都精華大学を選んだのかという理由ををお話しますと、 京都より日本の伝統と精髄を肌で感じるうえで京都より適した所はないと思ったこともありますが、 何よりも決定づけた理由は、去年ある日本の映画を見てものすごく感動したからです。 その映画は京都を舞台に撮影された”パッチギ”という映画でした。 有名な作品なのでもうご覧になっている方がたくさんいらっしゃると思いますが、 この映画は日本の在日朝鮮人の二世、三世の若者たちが日本の若者たちと揉め合い、葛藤を経て結局仲直りするという話で, その過程でかつて若者の祖先在日朝鮮人一世たちがどんな苦難にあったかを取り上げている映画です。 当時は何気なくただ感動的だな思いましたが、 ふと今考えてみると昔だったら見ることすらできなかったはずの内容です。 特に映画の途中に流れるイムジン川という曲は作曲者が北朝鮮の人だったので韓国でも日本でも当時、聞くことも歌うことも禁止されていました。 最初何も知らずに、私はメロディに惹かれてよく鼻歌を歌ったのですが、興味を持ってその歌を調べたところ、朝鮮人の苦難の意味合いがあることが分かってから色んな疑問が湧き始めました。 「なぜこの歌が韓国、日本から禁止されていたのか?、歌詞の意味は?」 それならば実際に映画の舞台となった京都に行ってみよう。行って自分の目で見てみよう。 ちょうど今年から京都の精華大学というところが交換留学の協定校になったので、絶好のチャンスだと思いました。 日本に来て、最初は関西弁にも慣れていないし、知り合いもいないので苦労の連続でした。 でも映画を撮影した鴨川をはじめ、あっちこっち行ってみて楽しかったし、様々な人々と出会い、色んな意見を聞くことができました。 そこから私は韓国で見た”パッチギ”と重なる部分をたくさん見ました。 それを通じて感じたことはやはり映画とあまり変わらなかったということです。 それは私が日本に来て出会った、ある二人の方たちから深い印象を受けたからです。 私が日本に来て一ヶ月ほど経った頃です。 授業で知り合いになった友人の誘いで、夕食を食べにお好み焼きの店に行くことになりました。 その店は今は引退した朝鮮学校の校長だった誤先生という方が経営している店でした。 最初、その友人からどんな方かという話を聞いていたのでちょっと緊張していました。 なぜならば、その先生は北朝鮮系の朝鮮学校の校長だった方で、韓国人の私としては付き合うことになにかの拒否感みたいな感情が心の底に根付いていたからです。 初対面の先生は思っていたより親しみやすい印象でした。 私が韓国から来た学生であることを話したら、すぐにとても喜んで親身に話しかけてくださったのです。 そんな先生の態度に気まずく思っていた私にビールをおごってくれながら先生は話を聞かせてくれました。 そして先生は自分の祖先の出身が韓国にあり、韓国と深い縁を感じていて先生自身が今まで歩んできた民族教育という一筋の道がどれほど大変だったとか、 その紆余曲折を経て今は日本の学校とはどうやって交流をしているかとか韓国の人とも行き来しており、もうすぐ初めて韓国の祖先の故郷を訪れる旅を予定していて楽しみにしていることなどを語ってくださいました。 その中で民族教育を守る道というところはまさに映画”パッチギ”とそっくりの話でした。 誤先生のお話の中で、一番記憶に残っているのはありのままの視線で自分たちを見てほしいということです。 先生はそうやって心から私に訴えてくれました。 それからもう一人の方は在日2世として日本で成功をおさめている社長さんです。 その社長は昔韓国が朝鮮戦争直後、混乱で貧しいときに韓国の名門大学を卒業し、希望のない祖国から日本に渡りました。 その後、卸売り事業を始めたそうです。新しい取引先を切り開くために自分の本名を変えたり、色々苦労したご自身の経験談や差別を避けるために頑張って自分の出身が韓国であることを隠さなければならなかった事情などを語って下さいました。 しかし、今はそういう現状も変わりつつあり、もう自分も元の名前に戻し、息子さんも日本の女性と結婚しているそうです。 お二人の話を聞いて昔は朝鮮人として生きていくのが相当大変だったんだなと思いました。 もちろん、今は昔みたいな差別はほとんどなくなっており、その方も昔話のように笑いながら語っておられましたが、 私にとっては本や映画よりもっと現実的なものとして感じました。 このように実際に経験された方から話を聞き、直接心に訴えられる経験は生まれて初めてだったので新鮮な衝撃として感銘をうけました。 私が今まで数多くのメディアと本だけを頼りにして、物事を理解し、判断を下していたのかを分かった瞬間です。 以上、述べたことは日本に来たからこそできた経験です。 京都に来て、人と人との縁が繋がったのは私にとって幸運だと思います。 京都に来て本当によかったと思うことは 今までの私の勉強というのは本を読んでその後ただ本棚に戻すだけで終わっていましたが、 今は実際にその場所に行ってみてフィールドワークとして経験することが出来ます。 よそから与えられた事実に耳を傾けてしまうのではなく、現場の経験がいかに大切かとういうことに気付きました。 何の目的も無しにただ日本語上達だけを目標に交換留学をしていたらこういう貴重な経験はできなかったはずです。 一つの映画から始まった私の日本留学はこれから私が生きていく中で物事とどう向き会っていくべきかという問題の回答を与えてくれたと思います。 私は後4ヶ月で日本を離れます。そして韓国に帰ってから半年で大学を卒業することになります。 その後、自分が就職をするか、もしくは自分にもっと深く掘り下げたい分野ができて勉強を続けるか、まだはっきり分かりません。 今までの経験、そして残りの4ヶ月間の経験を合わせて、今度は自分が本当にやりことが何かという問題について考えていこうと思っています。 どんな結果に至るかはまだ分かりませんが、京都で得た貴重な経験を生かすことによって、明るい道が開けてくると思います。 最後までご静聴して下さってありがとうございました。 |
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