2007年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「新しいもうひとつの母国」

コ ジェニィ
中国


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 コ ジェニーと申します。京都精華大学に通っています。

 1998年の夏に、通訳である父の仕事で、私は中国からはじめて日本に来ました。家族滞在ビザを取り、日本に住むことになりました。当時9歳のわたしにとっては不慣れなことばかりで、しかも、日本という国に対してあまりよい印象はありませんでした。なぜなら、中国の小学校で勉強した″大日本帝国の当時″の印象が深く残っていたからです。しかし、実際日本で生活してみると、私のイメージとは逆に、親切な方々もいて、言葉が通じない私の手助けをしてくれた方もいました。少しずつ私の日本に対するイメージが変化していきましたが、よい事ばかりではなく、言葉でのコミュニケーションが成り立たないせいか、差別的ないじめも受けました。疎外感もありましたが、負けまいと、相手に立ち向かいました。

 日本で暮らしてから3年経った頃、日本語もうまく話せるようになり、生活も安定してきました。友達もたくさんできて、わいわいと喋ったり、冗談を言ったり、笑顔が絶えない学校生活を毎日過ごしていました。もうすっかり日本人の輪に溶け込み、時々自分が中国人なのか、日本人なのかさえもよくわからなくなっていました。学校にいるときは日本人で、家族といるときは中国人、という不思議な感覚でした。でも、まだ子供だった私はあまり中国人として見られるのは好きではありませんでした。だから、家族とどこかへ出かけても、あまり母国語を使わず、極力日本語で両親と会話していました。私の精神的な面の影響もありましたが、ニュースの報道やメディアで中国のデメリットな部分を取り上げたりしたので、私が中国人であることをまわりに知られたくありませんでした。「あの人たち中国人じゃない?」、「うそ〜っ!?日本人かと思ったぁ!」ごく普通のフレーズかも知れません、悪気はなかったのかもしれませんが、当時の私にとって、″中国人・・・″というのは恥ずかしい言葉でした。

 友達の間で中国のことが話題になると、私は自分を抑えて、中国人であることを忘れさせるくらいに、無理して日本人になりきって、中国を批判したり、否定したりしたこともありました。決して母国である中国を嫌いだったという訳ではなかったのですが、なぜか恐かったのです。きっと仲間はずれにはなりたくなかったのです。

 中学生活を終え、高校生になると、考え方もポジティブになりました。精神的に成長したのか、まわりの視線もあまり気にしなくなりました。そのきっかけとなったのは、友達が会話の中で言っていた言葉でした。

「でもよく考えてみると、ジェニーって中国人だけど、日本人みたいだよね!」と彼女が言ったのですが、正直複雑な気持ちで、どう言葉を返すべきかわからなくて、「え!?そう?」と、ごまかしました。「でもいいよねぇー、二ヶ国語話せるんだもんねー!うらやましいなぁ!」予想外でした。はじめて″うらやましい″と言ってくれました。自分の中の何かが吹っ切れたみたいで、すっきりして、うれしい気分になりました。私だからできることもあるんだなぁと、やっと気づいたのです。それから私は自分が中国人であることをプラスに考えて、前向きになりました。

 そして今年の春、大学に入って留学生ビザに変更しました。さまざまな人がいて、留学生もたくさんいます。でもまた小さな壁がわたしの前に立ちふさがりました。中国の留学生に、「わたしらとは違うよ、特別だよ!留学生には見えない。」と言われたのです。似たようなことはありましたが、はじめて同じ国の人に言われて、なんとなく自分が中国人であることを否定されたような気がしました。正直ちょっと寂しかったです。そんなある日、日本人の友達との会話の中で、ニュースで報道された、「肉まんの中にダンボールが入っている」というのがたまたま話題になりました。彼らは、私が中国人であることを無意識に忘れていたせいか、私の前で批判し始めました。私は、どちらの国の立場に立って発言すればよいのか、迷いました。中国にも、日本にも住み慣れている私にとってどちらかを選択するのは、やっぱり難しかったのです。だから、私は勇気を出して素直に言いました。

「メディアの放送に左右されないほうがいいんじゃないかな?事実と異なるかもしれないよ?実際にその場で経験してみないとわからないこともあるでしょ?」そういうと、「そうかもねー・・・。」とうなずいて言ってくれました。

 もし私が日本に来ていなかったら、こんな事言えなかったかもしれません。私だって日本に対する勝手なイメージだけで正しいかのように話していたこともありました。しかし日本に来て、今までいろんな経験をしたことで、学んだ事がたくさんあります。偏った情報や報道に振り回されず、″百聞は一見に如かず″というように、間近で見て真実を確かめることが大切だということも分かりました。だから、私は両方の視点でものごとを理解していきたいと思います。

 これからは、私が育ってきたこの二つの母国を尊重し、それぞれの芸術文化の相違点と共通点を勉強して、将来は芸術家としてその成果を国際社会で発揮したいです。そして、日本に住むきっかけをつくってくれた父と母に、心から感謝し、私にできる限りの親孝行をしていきたいです。
 ご清聴ありがとうございました。


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