2005年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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私という人間
トーマス リュウ タチバナ
アメリカ
 生まれて19 年、私の罪の意識は深くなりつつあります。
けれど、この告白によって再出発をしたいと思います。
 私の名前は立花トーマス隆です。
両親は日本人。
私が生まれたのはアメリカ。
そんな環境で育てられた私は、小さい時から心の中でアイデンティティー摩擦が起こっていたのです─私の話はいわゆる日系二世のありふれた人生。
 アメリカでの新しい人生を求めて渡った両親と祖父母には日本文化を守ろうと言う気持ち、二世には日本人としてのアイデンティティーを持ってほしいという熱い願いがありました。
それゆえに小学校までは家が私の唯一の世界でした。
従って学校に入学してようやく生まれて初めてのアメリカ文化に触れました。
アメリカの考え方と習慣に出会い、それは私に眩しいほどワクワク、ドキドキするものでした。
 アメリカに住んでいるとはいえ、私は日本の伝統的な家制度の中で育てられ、おもぐるしい雰囲気でした。
アメリカ文化の自由さと新鮮な空気で穏やかな気持ちになり私の心は惹き付けられました。
初めてアメリカの親友の家に遊びに行った時が忘れられません。
あざやかな印象が残っていることは親子関係が大変親密で友人のような対人関係だったことです。
それにもかかわらず親にはちゃんと尊敬の念を持っているように見えました。
気軽に相談やコミュニケーションを取っている姿を見て、子供の意思に任せて行動させているのが魅力的に映りました。
 それにくらべて私の家では親にはぜったい服従でしたし反論など、もってのほかでした。
なんでも「はい」と言わなければなりませんでした。
なぜ私の家庭はアメリカの文化に影響を受けていないのか?なぜアメリカ式の家庭の理想に移行しなかったのか?この時点から自分自身と両親との熾烈な葛藤が始まりました。
両親にあからさまにこのような疑問をぶつけていた私でした。
両親は「われらはわれらだ!」と答えました。
 この厳しい言葉を聞いて反感をそそるような気持ちがますます強くなりました。
私には両親が無知としか感じられませんでした。
この結果アメリカの価値観に惹かれていきました。
しかし私は二面性を持った生活を送っていました。
学校での仮面。
家での仮面。
家では無理やりに両親や祖父母の教え方に適合したふりをしながら陰では反発していました。
 そういう状況のなかでもう一つの疑問が生まれました。
小学校の頃から対人関係が苦手だった私に自分のアイデンティティーをどう表現するかという疑問に直面する毎日でした。
他の人はありのままの私を受け入れてくれるのだろうか?「私と言う人間」をどのように受け入れてもらえるのかが大きな問題でした。
その一方今までの自分を否定して他の人に新たな私を見てもらえなければ私の国アメリカで生き残る事は出来ないのか心の中で叫び続けました。
 私は友達の前で私の全てを表す事は出来なかったのです。
アメリカ人として認めて欲しい時はアメリカ人の仮面をかぶって友達と付き合いました。
自分が育った家庭や環境や文化の誇りを捨てました。
自分をアメリカ人と示すために私の日本反面の全てを放棄した。
洋服や喋り方、考え方などを変えました。
自分は日本人の血が流れているのにアメリカ人ぶって、両親の悪口や日本人の差別的な冗談を言っていました。
日本人というプライドを持たなければアメリカ人として仲間に入れてもらえるとひそかに思っていました。
たとえば私名字は立花です。
学年が始まるとき先生が主席を取って、私を「タチバーニ」や「タチバナナ」で呼ばれて恥ずかしくてたまりませんでした。
私は日本の名字を持っていることさえはずかしかったのです。
私は日本人ではない。
日系ではない。
アジア人でもない。
私はアメリカ人だ。
それを皆に言いたかったのです。
「私という日本人」はだんだん消えてゆきました。
 時が経ち、人間として成長しました。
新しい自分を見つけなければいけないことが分かりました。
このままで人生、生き続けられない。
そう思い、もっと広い考え方が出来る決心が固まりました。
このゴールを遂げるためには私の新しいアイデンティティーを探すことに決めました。
日本へ留学することになりました。
現在、小さい時抵抗していた日本の文化の中にいます。
遂に過去の反抗期が解け始めて被害者という意識が消えてます。
私は今ずうと嫌いだった日本文化が好きになってきて毎日理解が深まっています。
そして過去とは1 8 0 °違う気持ちで日本文化の全面的な良さがだんだん見えてきました。
日本文化を積極的に経験し認識を新たに変わってます。
 今までの留学の体験から一番日本文化の事を会得できたことは、心と周りの環境を調和させて生きるということが日本文化の基本であると分かったことです。
なぜ思うようになったかというと、茶道に巡り合ったからです。
祖父に茶をぜひ習えと言われて私は月二回勉強に行き出しました。
小さい時お茶を飲ませてもらいましたが、かたくるしく、家での教育に酷似していたので反対しました。
でも今の見方で茶道はむしろ日本文化の美しさを表しているように見えてきました。
茶道では同じ動作を繰り返し繰り返し一つ一つ練習しながら身につけてゆきます。
お茶室への入り方。
正しい挨拶や礼儀。
季節の花の飾り。
掛け物の拝見。
様々の点前。
このように数えられないほどの規則の存在は単なる贈呈ではない。
 正しい動作が完璧に出来るまで稽古します。
これは昨日、今日で出来ることではないのです。
先生の見本を見ながら自分の悪い癖や性格がいろいろ分かってきます。
これは一生かけての練習だと思います。
相手と自分、お互いに気心で和合な思いやりが自然にわきます。
お茶を通して相手に親密さや思いやりの気持ちを表現できます。
茶道は日本人の心を描いた代表的なものだと思います。
 過去の非力を乗り越え茶道などを通して日本文化に直接触れながら人間として進歩しているように思います。
父と母の心はこのように培われたのかと分かってきました。
自分自身を見つめる機会に巡り合ったのは一期一会の言葉です。
私は日系二世ですと今では叫べるようにプライドを持てるようになりました。
自分の親の縁を結ぶこと。
また、相手の立場に立って物を見つめ、考えられるようになることです。
過去に嫌だった基本中心の文化のうつくしさや価値観の価値を身につけることができました。
19年も否定していた日本の存在をまた心の中で再生したいと思います。
少しずつ私の両親の苦労、過去、背景を知りたい。
自分で一から新しい「私」を作って新たな誇りを刻みたい。


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