2005年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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プールに行かない?
ホン ジョンヒ
韓国
 「ジョンヒ、今週の日曜日、プールに行かない」
「プール?」
「うん。日本へ来て、一度も行ったことないよね。せっかくだから一緒に行こう。」
「でも私はちょっと」
「何で。水着なら私が二つ持ってるから貸してあげるよ。」
「ううん。あのね。私、泳げないの。」
「本当?」
 私はこのような会話を日本に来て何度も繰り返しました。

 韓国の学校には、普通、プールがありません。
ですから、学校で水泳を習うことはできません。
もちろん公営のプールならあちこちにありますので、そこに通って習おうと思えば、習うことができます。
しかし、学校に必ずプールがある日本と比べてみれば、自然にプールというものに接する機会が少なくなってしまいます。
実際、韓国には、水泳を習ったことがない人、泳げない人がたくさんいます。
私もその中の一人です。
 韓国の学校にプールがないのは、何故なのでしょうか?お金の問題でしょうか。

つまり、プールを作るには、たくさんのお金がかかるから、プールを作ることができないのでしょうか。
それとも、もっと別の理由でしょうか。
 プールの有無は、お金の問題より、受験と関係のない科目は軽視されるという韓国の教育の現状と関係があると思います。
私が韓国の教育について、本当に残念だと思うところは、体育らしい体育をやったことがないということです。
普通の中学と高校には運動の部活動は一つもありませんでした。
この点は、今日ここに来てくださっている日本人の方々にとっては、本当に驚くところだと思います。
でも、実際、韓国の中学や高校には運動部はないのです。
受験科目ではないからだと言えるでしょう。
受験科目以外を軽視する傾向は高校3 年生の後期に入るともっとひどくなり、受験科目以外の授業は、自由学習に回されてしまって、運動場には一度も出たことがありませんでした。
家庭科の授業で習っていた編み物は完成しないままどこかに放り投げてしまいました。
体育の授業でやった跳び箱の五段は跳べないまま終わってしまいました。
そして、一番好きだった日本語は音便形を最後まで習うことができませんでした。
そんなわけで、いつしか私たち自身も受験以外の科目は人生に役に立たないものだと思うようになってしまいました。
 これとは対照的に、高校の部活動として水泳や、テニス、バドミントンなどをして、大学に進学すると、より活発に部活動をする日本人の学生は幸せだなと感じていました。
大学に進学するために受験することは同じなのに、環境は全く違うのです。
 韓国の受験生だった私たちは、「四時間寝ると合格するが、五時間寝ると落ちる」という4当5落を信じて、4 0 0 点満点に自分の成績を比較しながら悩んだり喜んだりしていました。
学校で朝7時半から夜1 1 時まで機械的に勉強しながら時間に追われて、試験に追われて、未来の夢なんか真剣に考えたこともありませんでした。
先輩や先生や両親に、自分の生きる道はいい大学あってこそのことだと言われ、それをみじんも疑うことなく、きつい生活を我慢していました。
苦しくてたまらないときは、教育の問題を批判するより、成績が上がらない自分自身を責めました。
そのような私の高校時代を通して得たことは、三年間暑い日も、寒い日も一生懸命に勉強して受験をやり通したという自己満足と、かけがえのない友人たちができたことです。
体の調子が悪いときは、かれらは私の看護婦さんになってくれ、成績が落ちて悩んでいるときには、私のカウンセラーになってくれました。
それは、一日ほとんど勉強ばかりの1 6 時間を一緒に過ごしたからこそできたことでしょう。
最後にもっとも大きく感じたことは、きつい生活から抜けられたという解放感でした。

 みなさんが高校生の頃、感じた事とは違いますか?私は高校生が経験すべきことはこれ以外にもいっぱいあると思います。
専攻や夢について考えたり、話し合ったり、友だち同士の友情や愛など、体験しなければならないことがいっぱいあります。
そのような中で、失敗と苦悩を重ねているうちに、体も心も成長していくものです。
それは、受験科目だけを学んで、受験をするという経験だけでは、味わえないものだと思います。
 子供の時、「偏食していると、必要な栄養が足りなくなって、大きくなれないよ。」
とよく言われました。
偏食していれば、健康を損ないます。
今、韓国人の大人が作った教育環境はいわばこの「偏食」を強いるものです。
そのせいで「教育」がどんどんゆがんで行きつつあるのではないでしょうか。
一方的に詰め込んで考える必要がない、単調に暗記して、ひたすら成績を高めるための教育は、自ら探求して能力と想像力を養うことができる教育に変えなければなりません。
そのような探求心と想像力を持つことこそが、多様化していく世界で共存していく近道ですし、文化も環境もまったく違う人々と出会ったとき、偏見をもたずに、心から受け入れられる方法だと思います。
 私たちが、受験に関係ないという理由で、最後までやらせてもらえなかったこと、たとえば、家庭科の編み物や体育の跳び箱、そういう物を最後までやり遂げる喜びも、未来の子供たちには味わってもらいたい。そう思うのです。
 ご静聴ありがとうございました。


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