2005年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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日本で見つけた可能性と将来
カルロス オチャンテ
ペルー
 あの頃私は16 歳で、この島から遠く離れたペルーという国で豊かでもなければ貧しくもない普通の生活をしていました。
その頃私には夢があって、それは大学で自分に役立つ勉強をするということでした。
心理学を勉強したかったのです。
私が12 歳の頃から両親は日本にいて、それはなぜかというと単純なことでした。

自分の家族を養うという親にとって最も大切な義務を果たせなかった国から逃げたからです。
私の国はインカ帝国という大きな文明があった国ですが、植民地化された後、独立した今でも貧しさが残っています。
これは世界中のどこの植民地になった国でも同じことが言えると思います。

 1 6 歳のときに日本へ行くという話になりました。
それはペルーで勉強してもあまり良い将来が得られないという理由からでした。
 その年の12 月、日本への希望に満ちた心で私は2 人の兄弟と一緒に日本へ旅立ちました。
知っている日本語は“ありがとう”と“さようなら”の二言葉だけでした。
最初は驚きでいっぱいでした。
着いてすぐに私は自転車で3 0 分かけて日本語の勉強ができる緑ヶ丘中学校へ妹と一緒に通い始めました。
そこで私は日本語の基礎的なことを学びました。
しかし私は生徒ではありませんでした。
そのご校長先生に生徒として認められ、私は卒業することができました。
そのおかげで私は定時制高校へ進学することができ、勉強をしながら17 歳から任天堂の下請け会社でバイトもはじめました。
テレビゲームが好きだったからです。
しかしそこでの仕事は忙しくて、あまり好きではない日本人がいました。
ですから彼と仕事をするのは難しかったです。
でも他の皆はいい人達だったから我慢しました。
大変でしたけれど、仕事もしながら日本語を勉強していくうちに私は日本語の字の書き方、話し方そして文化のことを学んでいきました。
こうやって私は日本語を覚えていき高校在学中には日本語検定能力試験の2 級を取得しました。
その後大学に入学しました。
私の心理学を勉強したいという夢は変わっていませんでした。
京都学園大学で人間関係学を学んでいました。
しかし私は大学入る前にボランティアで日本人や外国人の子ども達にスペイン語と英語を教えていて、その時に教えることへの興味が生まれ、3 年次から京都外国語大学へ編入しました。
心理学はすごく楽しかったけれど先生になりたいと気持ちの方が大きかったのです。
スペイン語や英語を教えることは夢に変わりました。
そして今年4 年生であの頃二つの言葉しか知らなかったあの緑ヶ丘中学校で教育実習をしました。
もちろん私は英語を日本語で生徒達に教えました。
 しかし語るのは簡単です。
実際ここまでたどり着くのに困難もたくさんありました。
カルチャーショック、分からない日本語、そして友達のいない生活はいつも存在しました。

日本では楽しいことのない毎日と同じ文化を共有できる友達がいなくてすごく寂しかったしつまらなかったです。
私はペルーで幼なじみや学校の友達を残して、日本に来てしまったということを強く意識するようになりました。

だから何度もペルーへ戻ろう、と考えました。
しかし、それを引き止めたのは、夢を実現しなければならないという気持ちでした。

 今はもうこの国の文化を知って慣れたし、最初おかしいと思っていた日本お笑いを理解して笑うことができるようになりました。
多くの日本人の友達もできて、ラテンアメリカの友達もできました。
二つの文化はお互いに分かち合え、共に生きるためには自分たちの共通点を最初に見つけなければならないということを学びました。

両親は私にいつも「あなたはこの国の一番良いところだけを学びなさい」と言っていました。
私はこれまでそうしてきました。
日本の文化の中にはたくさんのすばらしいことがあります。
より誠実であること、時間を守ることまた仕事を頑張ることを私は学ぶことができました。
それらはこの国で生活していくこと、この国を愛することに役に立ちました。

この国で得たチャンスによって勉強することができ、また、NGO で活躍している素晴らしい人たちと出会えたことで、自分は人間として成長できたと思います。
 しかし、こうやって多くのチャンスをもらえたのは私だけではありません。

妹は今大学院で勉強をし、弟は中学校で高校を目指しています。
 今私は必要とされていることをいつも感じることができ、これは何よりも嬉しいことだと思います。
私は自分のための勉強を続け、自分の可能性を見つけました。
よりたくさんの人を助けることができる自分に気付いたのです。
 大学卒業後の私の夢は外国語の先生になってラテンアメリカの人たちを手伝うことです。
いつか離れた私の国ペルーの役に立ちたいと思っています。
なぜなら、これは移民としての義務であるからです!


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