2005年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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日本での異文化交流と将来の私
キム ナムヒ
韓国
  “愛する人に良く似た子の父となり、愛する人の手となり足となりたい!”
この台詞、どこかで聞いたような気がしませんか?はい、そうです。
日本のおばちゃん達が一番言われてみたい、「冬のソナタ」でミニョンがユジンに言った台詞です。

 2 0 0 5 年、日本はまさに韓国ブームでした。
6 年前に来日、留学生活を送っている私にも、このブームの到来は驚きそのものでした。
 「韓国にも地下鉄があるの?」「韓国人は朝から晩まで焼肉を食べるの?」という質問を受け、どこから説明をすれば良いか戸惑いを感じていた当時とはまったく違う状況です。
 「ヨン様」への関心は彼の母国である韓国への関心にまで広がりました。
韓国語を勉強し、実際に韓国を訪れ、韓国をもっと知りたいという日本の方々が急激に増えてきました。
 多くの日本人が、実際に韓国を訪れ、交わりを深めるということは、「百聞は一見にしかず」、お互いの偏見、誤解をなくすために非常に役立つことだと思います。

 私も日本留学を通じて自分がそれまで持っていた否定的な日本人像と実際の日本人の親切さのギャップに少なからず驚きと戸惑いを感じております。
 このように、双方の交わりがお互いの理解につながる例は、非常に多いです。
しかし、実際の交流によってかえって、両国の偏見、誤解が新しく生まれ、溝が深まる場合もあります。
そして現段階では、この事実の方が重大であるかもしれません。
 例えば、韓国、コンヤン大学で1 年間日本語を教えて帰国した日本人の友達の話を紹介しますと、彼女に会いに東京に遊びに来た、韓国人の友達に一晩中つき合ったとき、地下鉄料金をはじめとする全ての費用を、まったく払おうともしなかったことに対して、彼女は表面には出しませんでしたが困惑したというのです。
 この例は少し極端な話でもあるかもしれませんが、実際に韓国人とつき合っている日本人から、韓国人はすぐにものを頼む、お返しをしない、何をしてあげても次に会った時にお礼がない、などの声を聞くことがしばしばあります。
そして、この日本人たちは、韓国人とつき合うのはもうたくさんだという結論を、早急に下してしまうのです。
 それでは韓国人の側から、日本人との付き合いで誤解しやすいという例を挙げてみたいと思います。
 京都国際交流フォーラムの参加のため、韓国から1 5 人くらいの大学生が日本に訪れたときにその学生たちから聞かされた話です。
彼らは、学生交流プログラムで実際に日本人学生と接してみて、日本に対する距離感が出てきた、というのです。
その原因として日本人の「割り勘」の習慣をあげました。
 実際、日本の大学生たちをソウルに迎えて、いろいろ市内を案内し、夜になって学生街のところで夕食をかねて懇談したときの話です。
お勘定という時、日本の学生たちは昼間の交通費も入場料も全て韓国側が出してくれたから、ここだけは割り勘にして欲しい、と言ったのです。
それを聞いた韓国の学生たちは大いに腹を立てました。
「ここは韓国であなた達はお客であり、お客と飯代を分け合って払うことはできない」と言い返したとのことでした。
 ここで挙げた二つの例を比較してみると、まず両方とも騙してやろうとか、たかってやろうとか、恥をかかせてやろうとかの「悪意」はまったく存在しません。
それなのに日韓の交流がなされたためにかえって相手に対する違和感、距離感が生まれてしまったのです。
「百聞は一見に如かず」というのが成り立たなかったわけです。
 日本人と韓国人は一見するとお互いに外見も歴史・伝統もよく似ています。
しかし、この似ているというのがくせ者で、そのためにややもするとお互いが自文化の物差しで相手を評価してしまいやすいです。
しかし、厳然たる外国である以上、その持つ物差しが同じであるはずはないと思います。
守るべき礼儀の基準やルールに従っていて、この違いこそが広い意味での「文化」の差なのではないでしょうか。
その意味で、自文化の物差しで相手を一方的に裁かず相手の文化に関する理解と考察を深めることが必要だと思います。
これはいいとか悪いとかの問題ではなく、日本人、韓国人はこういう発想で生きてきたのだと、これからもこういう考え方は残るのだと、その中で私達が国際交流するためには何が必要なのかをしっかり考えるべきだと思います。
 1 7 世紀、滋賀県高月町で生まれて、朝鮮外交の第一線で活躍した雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)という人がこんな言葉を残しました。
「誠信交隣」、この言葉の意味は相手の心を知り、互いに欺かず、争わず、真心を持って交わることこそ本当の交流であるという意味です。
 私は来日してから、様々な機会を通じて韓国について、また私の考え方を一生懸命日本の人たちに伝えてきました。
そして韓国語講座・文化紹介講師など、日本の人との交流に積極的に参加してきました。
さらに、京都付近に存在する韓国人と日本人を対象に、「新世代クラブ」という日韓国際交流クラブを作りました。
そのクラブで、私は創立メンバーとして、友達を作る場を提供するという、表面的なものだけでなく、討論会、歴史勉強会などを企画し、内面的なミスマッチを少しでも減らすことを目指して、まさに雨森芳洲が唱えた「誠信交隣」そのものだと思い、活動をしてきました。
 今年1 0 月、私は国際ビジネスのプロになるという夢の第一歩として日本の専門商社に内定をもらい、韓国の支社との仲裁という大きな役割を担うこととなりました。
今まで経験した日本での異文化交流から得られたものをやっと活用するときがきたのです。
私はそこで異文化理解を常に念頭に置きながら、国際ビジネスマンに必要なスキルを身に付け、そしてそこから得られたノウハウや知識、経験、人脈などを生かしていずれは世界各国にも及ぶ広いビジネスへとつなげていきたいと思っております。
 最後になりましたが、このような私がよりよい人間へと成長するたいへん良い機会を与えてくれた日本に対して感謝の気持ちをこめて一言いいたいと思います。
日本、ありがとう!!


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