2004年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「日本で得た知識や経験:立会い出産」
ミグダリスキー ウラディーミル
 私は6年間日本に住んでおります。

旧ソ連の崩壊から誕生したウクライナという国から来ました。
そもそも日本に来たのは、文部省の奨学金を受けて、京都大学で難しい数学の研究し続けるために日本に来ました。
3年間の留学生時代の後も、日本で生きていく事を決心しました。
「なぜですか?」と聞かれると、やっぱり日本が好きだし、日本語や日本文化、そして武道に興味がずっと昔からあったし…。
でも、本当の理由は、素敵な日本人の女性と出会って、一緒に生きていく事を決めたからです。

京都で学位をとった後、2年間東京でサラリーマンとして頑張りました。
その間、色々な事がありました。東京での部屋探し、結婚の手続き、親の反対、親戚の葬式…その一つ、一つ、「日本で得た知識や経験」として立派なテーマになります。
日本で得た知識や経験は沢山ありますが、今日、この場を借りて、私の人生と考え方に一番影響を与えた出来事に関して、皆さんに話したいと思います。

「立会い出産」。
日本語を頑張って勉強している外国人の間でも、「立会い」という言葉の意味が分からない方が多いと思いますが、「出産」という言葉を聞くと、何となく「新しい命の誕生をそばで迎える事」という意味が伝わります。
「はい、そうです。その通りです。」産まれる瞬間、新しい命を迎えるという、新しいパパの大事な役目です。「子どもが出来た!」と聞いた時、とても嬉しかったです。
愛し合ってる男性と女性の間で、子どもが出来たという事は何よりも素晴らしい事です。
一般に、女性が妊娠した時、男性は何もしていないと思われます。
肉体的な苦しみは感じないし、精神的にも変化は起こらないように見えます。
男性として、パパとして、子どもが生まれるのを、待っているだけではないでしょうか?
そうではありません。
新しいパパになる人には重要な役目があります。
妊娠中の奥さんを支える・応援する・手伝いながら助けるということです。
そして、「立ち会うか?立ち会わないか?」決心する事です。
最後の最後の段階で、「生む瞬間を一緒に分娩室で過ごすか?外で待つか?という意味です。
僕なりに、男性は女性と一緒に出産すると考えています。
「立会い出産」というのはそういうことです。

実は、私の国は、今でも「立会い出産」という制度がありません。
海外の映画の大体のイメージしかありませんでした。
でも、妊娠中、私はどうしても妻を手伝いたかったのです。
その為、「立ち会うかどうか?」と妻に聞かれた時、「立ち会います。」と答えました。
「途中で倒れるかもしれない。自信ないけど、立ち会ってみます!」こうして、僕にとって、妊娠中の戦いが始まりました。

まず、産むための病院の選択から始まりました。
これだって、そんなに単純
ではありませんでした。
日本ではいろいろな生み方があるらしいです。
産み方によって、そして「立ち会うかどうか?」、子どもがうまれた後、お母さんと一
緒のベッドにいるかどうか、ということによって、病院が違うのです。
そうして、何かと、僕たちの希望する病院も見つけました。

妊娠の7ヶ月のある日、突然、「子どもがもうすぐうまれそうぐらいに低く下がっています。
今のままで生まれたら、自分の力で生きてはいられない!命が危ない!」と言われて、急きょ、妻が切迫早産で入院する事になりました。
そして、一ヵ月半、24時間、点滴をつけたままで、寝たきりの入院生活が始まりました。
会社の了解を受けて、病院の面会時間に間に合うように、この一ヵ月半だけ、残業なしに勤務しつづけました。
入院生活はいい事ではない、時間たったら、誰でもイヤになってしまいます。
でも、ある意味で、妻と私にとって、これは一番貴重な時間でした。
いろんな事に関して、二人で話す機会でした。
例えば、子どもの名前をゆっくりあ〜だこ〜だと決める時の盛り上がりとか、体重の増えないおなかの赤ちゃんに対する悩みとか、切迫早産で同じ部屋に入院していた他の妊婦さんとの話しや、一年以上経っても、昨日のように覚えております。
もう一つは、貴重だったのは、病院の雰囲気とスタッフに慣れる最高のチャンスでした。

出産というのは、大変難しい出来事です。
精神的な緊張感があります。
産まれそうになって、行き成り、救急車で知らない病院に運ばれたら、見知らぬ先生が近づいたら、誰でも不安になります。
妊婦さんにしても、立ち会うあるいは外で待つ男性にもなれる時間が必要です。
私たちは、この入院のおかげで、特別な「呼吸方式クラス」とか「立会い出産準備コース」などに参加する事ができなくなりましたが、病院の環境に慣れる事で、不安が消えました。
それに、この入院をきっかけに僕たちの結婚を反対していた、妻の両親も和歌山県からきてくれ、妻のそばで妻の心の支えとなってくれました。
そして、今でもこの京都で、僕達の生活を、誰よりも支えてくれています。

そうして、去年の10月11日、朝7時14分、私たちのミグダリスキー家の長女、ジュリアちゃんが産まれました。
私はずっとそばにいました。
最初から最後まで。倒れなかったです。
頑張ってる妻のそばにいました。
お臍はまだ切られてないままで、生まれたばかりの娘を自分の腕に抱きました。
この瞬間、妻と娘、そしてたくさんの人に感謝しました!

ありがとう! これから自分の娘にとって、いい父親になれるかどうか私の人生の中で新しい課題です。

もう一つ、私の方から、言いたいのは「男性も立ち会うべきだよ!」ということです。
「立ち会いたくない!」という男性もいます。
「立ち会って欲しくない!」という女性もいます。

両方の気持ちが分かるような気がします。
男性の方は苦しんでいる妻の姿を何もできずに見守って見ながら立つのはつらいです。
自分が苦しんでいる格好
を旦那さんの前で見せたくない女性の気持ちも分かりやすいです。
でも、「苦しんでる」じゃなくて、「頑張っている」!のです。
私の意見は何人であろうが関係なく、どんな宗教の違いがあるか関係なく、男性として、立ち会ってみて、
倒れてもいい、格好悪くてもいい、一生の一番大事な仕事をする妻を見て下さい。
頑張ってる妻の姿をみるべきだと思います。
妻の出産に関して、ウクライナに住んでいる自分の母といろいろ電話で話をして、その時、初めて自分はどういう風に生まれたかよく分かりました。
妻が娘を産んでくれてから、私も妻も、初めて自分達のママの苦しみとママの偉大さを分かるようになりました。

最後に、ここで、私の母へ、メッセージを言わせて頂きます。

(それと同時に、妻へメッセージでもあります。)

「母へ!あなたの事、心から愛しています!あなたがしてくれた事を感謝します!ありがとう!」

ご清聴ありがとうございました。


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