2004年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「車窓から窺う日本の姿」
ヨーコ チョイ
 私はオーストラリア人で、京都に留学して一ヶ月になります。
毎日京都大学へ通学している私は、電車の中で一日何時間も過ごしています。毎朝毎晩まるでしめさばのようになりながら大学へ行き帰りするのは確かに苦痛な面がありますが、色々と日本社会の勉強になったり、それなりにためになる経験があるので、楽しんでいます。

私は毎日同じ電車に乗っているにもかかわらず、決して車内で退屈をしません。
何故なら、車内での時間はとても特別であり、独特な日本の姿が窺えるからです。
世界中のどこであろうとも、電車はある一つの社会を凝縮し、反映していると思います。例えば、阪急電車から、京阪電車に乗りかえた時や、電車に乗る時間帯によって、微妙な雰囲気の違いが感じられます。
また、関西弁や京都弁の勉強にもなるので、日常会話を楽しみながら学んでいます。
その他、日本のサラリーマンや、学生や、お年よりの人々と共に同じ狭い空間にいる事によって些細なことも観察できる為、色々と思いをめぐらしながら日本社会のありさまや、日本人の生活について学んでいます。

日本人は大抵勤勉で、時間にきびしく、とても礼儀正しい人達だと思います。
私の出身地のシドニーでは、50%以上の電車が遅れ、30分も待たされる事が度々おこるのですが、日本では電車は時間通りに駅のホームへ到着します。
これ一つを為し遂げるために多くの社員が努力し、協力している事を思うと、チームワークのすばらしさ、そして日本で働く人々のモラルの高さに強い尊敬を抱きました。

私が一つ電車内で気になったのは、様々な広告から見えた日本社会です。特に、ECCや、AEONやNOVAなどの英会話レッスンの広告の多さに驚きました。
学費も決して安くはないし、日常生活の上で必要でもないのに、何故日本人は英語を学ぼうとするのでしょうか。
いずれにせよ、その行為は国際社会で相互理解を促進する為にかかせないと言う貴重な意志によるものであると思います。
実際、私は大学の帰りの電車内で、そういう英語好きの日本人に会いました。
その時、私はオーストラリアから持参した友人と家族の写真を見ながら、なつかしくて涙ぐんでいました。
すると、隣に座っていた少し酔い気味のおじさんが、「あんた海外の人かいな」と話しかけてくれました。
話しをするうちに、おじさんが英会話レッスンを受けている事を知り、彼は私に英語で、そして私は彼にできる限りの日本語で会話をしました。ついにおじさんは、「ナイストミーチユ−」と言い電車をおりていきました。
短い間でしたけれど彼の人生論を聴くことができたりして楽しかったです。
また、お互いにとって異国の言語を使いながら会話している様子を思い出すと今も心がぬくもり、うれしい気分になれます。外国語を勉強することは新しい出会いも招くし本当にいいな、日本語を勉強していてよかったと感動しました。
おじさんは次の日にはきっと私と会ったことさえも忘れてしまったと思いますが、私にとっては思い出深い、とても大切な出会いとなりました。
電車から見えるのは、もちろん広告ばかりではありません。たとえ同じ景色が車窓から見えていても、その日の時間と気分によって印象も異なり、毎日改めて日本の風土を楽しむことができます。
特に、先日とても美しい夜景が見えて、言葉を失ってしまうほど感激しました。
にもかかわらず車内のみんなは携帯電話を使っていたり、新聞や雑誌を読んでいたり、酔って熟睡していたり、誰一人この絶景に目をむけていませんでした。
みなさん多忙な生活に毎日を追われて、心のゆとりがなく、きっと疲れているのでしょう。
こういうところは私は悲しく、残念に思います。
私が電車の中で見ていることは些細なことに過ぎないかもしれません。
電車の中で見えることが日本の全てではないし、まだ日本に来て一ヶ月足らずなので、これからもっと積極的に日本を探検して、研究したいと思います。
言うまでもありませんが、私は日本に来て生活する事によって、きっと様々な知識や経験をつみかさねてゆくでしょう。そしてそれらが私の将来において、おおきな影響を及ぼすに違いないと思います。
日本語が上達して、日本文化や風土を習うことによって、視野も広がり、将来の可能性も広がり、世界観も大きく変わると思います。
私は日本で二人の恩師からの言葉を指針として毎日を過ごすように心掛けています。
一つ目は、母国の大学の教授が、私が日本へ旅立つ前に、「オーストラリア人としての自分を保ちながら、日本人らしく生きるように」と言ってくれたことです。
いわゆる、郷に入っては郷に従え、という意味合いがこめられていると思います。しかし日本人らしくふるまうということは、オーストラリア人としての自分を捨てるのではなく、日本の全てを恐れずに、体で受けとめて、実感することだと思います。
そうすることによって、初めて教科書では学べない日本と出会い、改めて母国のオーストラリアを見つめ直すことが出来るのだと思います。二つ目の格言は、京都大学の担当者の白石さんから受けた、ラテン語のCARPEDIEMです。この日をつかめ、今日を楽しめ、と言う意味だそうです。先生の言う通り、日本で過ごす毎日をあせらずに、急がずに、全ての五感を使いながら日本を楽しみ、満喫したいと思っています。
そして日本で感じた事や経験した事を母国に帰国した際、多くの人々に伝え広めたいと思います。
しかし、それ以上に、毎日の生活において、電車の中で感じたことなど、たわい無いことから窺えた日本の姿が私の人生において余韻を残すことになるような気がします。
最後にまた電車の中に戻ります。
毎日車内でアナウンスされる車掌の言葉で、私のお気に入りがあります。
それは、「お忘れ物のないように、ご注意ください」という、とても親切な言葉です。
車掌の言葉通り、私は日本で忘れもののないように、毎日をせいいっぱい生きて、一つ一つの出会いを大切にして行きたいと思います。



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