2004年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「日本の武道と私」
ジェニー ウィリアムソン
 私は今年の3月、スイスから日本に来ました。
今日お話したいことは、武道についての私の考えです。
スイスの叔父から合気道を教わったのがきっかけで、私は小さい頃から日本の武道に憧れ、大変興味がありました。
15歳のとき、スイスの全国空手大会に参加しました。
こんな大きな大会に参加するのははじめてでしたから、この大会で勝ち残ることはないと思っていました。
ところが、先生の応援のおかげで、私は300人ほどの参加者の中で優勝することができました。
それは誰も予想していなかったことなので、みんなとても驚きました。
今でもそのときの先生の声援が耳に残っています。
決勝で負けそうになったとき、先生が「がんばれ!あきらめるな!」と大声で叫びました。
そうしたら、痛みのあまり動かなくなってしまった体が、また動くようになったのです。
私はこの試合で優勝したときの感激を一生忘れません。

それからも試合に出るチャンスは何回もありました。
しかし、私の考えでは、試合を体験することはとても大事だと思うのですが、武道といえば試合のことだけを考えるのはよくないと思います。
試合では勝つか、負けるか、どちらかに決まりますが、勝敗を気にしすぎると、武道の伝統的な意味を忘れてしまうからです。
古い伝統を重んじることは大切だと思います。
武道の精神は、敵に勝つよりも自分に克つことです。それが武道の本質で、武道がめざす本来の姿なのではないでしょうか。
相手に勝つと誇りや光栄を手にし、優越感にひたることができます。
しかし、自分に克つとは、形ではなく、目に見えないものです。
少しでも楽をしたいと怠ける気持ちになったとき、心に鞭打ってがんばったり、自信をなくしたとき、すぐにあきらめないで、最後までやり通すため、苦しみに耐えたり、自分に克つことはそんなに簡単ではありません。
そのためには、道場での稽古だけではなく、隠れた努力が必要です。たとえば、私はこんな経験をしました。

1999年に知人を頼ってはじめて日本に来たとき、四日市市の森の中で滝に打たれ、「みそぎ」をしました。滝に打たれている間は無心になり、打たれた後は清らかな心で大自然とひとつになったような気分に満たされました。

また、長岡天満宮ではじめて竹を見たときは感動しました。
道場で体を鍛えて、

技を磨くことも大切ですが、竹のようにしなやかで、自然な動きを身につけることが武道では重要です。竹林の中や、積もった雪の上をはだしで刀を振る練習もしました。
腹の底から気合を入れて、何回も何回も刀を振り続けました。このようなことはすべて、自分に克つための修行だと思います。

道場では先生の指導を受けます。
先生は武道の達人であっても、「道」を極めたわけではありません。
先生もまだ「道」を探し続けています。「道」を探すのは一生の問題だからです。
また、武道は道場に限りません。
武道の精神を日常生活に活かすよう、いつでも、どこでも、何をするにも武道のことを思い出して、
適切に行
動したいと思います。
空手と合気道だけでなく、日本に来て、さらに居合道もはじめました。
新しい先生のご指導の中から、また何かを発見し、何かをつかみ取ろうと思っています。
今ではもう、私から武道を切り離すことはできません。
それほど武道の魅力に強く惹かれているのです。

一人でも多くの人が武道の精神を知り、人間同士の関係が深まれば、世界から争いごとはなくなり、平和な時代が来るのではないでしょうか。
自分に克つため、山伏たちが苦しみをのり越えて修業した熊野古道。
最近世界遺産に指定された熊野古道をいつか全部歩きたいと思っています。
それは私自身を試してみるチャンスだからです。「礼に始まり、礼に終わる」伝統的な武道について、もっと深く知り、これからも武道を通して日本を理解し、自分の「道」を探すつもりです。

ご清聴ありがとうございました。


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