2004年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「優しい国と私の変化」
サイ エキカ
 来日後初めて中国へ帰国したとき、父のために日本製の缶ビールを一本買って帰りました。
父に日本製のビールを味合わせてあげようと思ったからです。
家族との宴席の場で私がそのビールを空けようとした時、そのあけ口の横に点字が刻まれているのに、ふと気がつきました。
それは私の予想もしないところにあったものなので、とても驚きました。
そして、横に座っていた父にそれを見せました。
父はそれを見てとてもびっくりした様子で「まさか缶ビールに点字が刻まれているなんて考えられない。日本人は細やかな気遣いをするなー」などと言って感動していました。
点字は普段の中国での生活の中でお札ぐらいでしか見かけないものだから、私達はとても衝撃を受けました。

 私が初めて視覚障害者誘導ブロックを見たのは5年前中国建国50周年の時でした。
その時、北京では各大通りを作り直す工事が行われていました。
作り直された道の真ん中には、それまで見たことのない凹凸がある黄色く細かいものが敷かれていました。
私は最初それが雨や雪の天気の時に通行人が滑らないために造られている道であると思いましたが、後にそれが誘導ブロックだということが分かりました。
そして私は日本へ来て、日本の道や駅でも中国と同じような凹凸のある黄色い道をよく見かけました。
それで、誘導ブロックは国際的な福祉設備であることが分かりました。
しかし、当時、私の周りの人々はそれを知っている人はほとんどいなかったようです。
誘導ブロックは私達の生活にまったく新しい光景として入り込みました。
しかし、私の意識の中ではそれはまだ障害のない人も歩く普通のただの道でしかありませんでした。
ところが、ある小さな事柄が私のその意識を変えました。
それは、私が日本へ来て間もないころのことでした。
私の住んでいた家から駅へと行く途中に一つの信号のある交差点があります。
外出する時、私はいつもその交差点を通っていました。
時々「ピヨピヨ」と小鳥の鳴き声のような音が耳に入ってきました。
その音がどこから出たんだろうと不思議に思ったことがありますが、「なんだろうと」真剣に考えたことはありませんでした。
ある日、主人と外出して、交差点を通った時、またその音が耳に入ってきました。
すると主人もその音の真似をしはじめました。
「それは何の音」と私は訪ねずにはいられませんでした。
「あれは目が不自由な人が信号を安全に渡る為に設置されたものなんだよ」と教えてくれました。
「そうだったんだ!特別な信号だったのか」と私は一瞬にして理解しました。
しかし、最初のうち、私はその音にたいへん違和感をもっていました。
20年以上にも及ぶ中国での生活の中で、私は一度も音のなる信号を渡った事がなかったからです。
やがて、その音にだんだん慣れてくるにつれ、身体障害者の存在を意識し始めました。
信号を渡る度に「身体障害者の人も、私と同じようにこの信号を利用しているのだろうな」とだんだん思うようになり、この国の身体障害者に対する細やかな配慮や思いやりを感じてきました。

その後、外出するたびに身体障害者への色々な配慮を見かけました。
電車の切符自動販売機の点字、駅で車椅子の人を手伝っている親切な駅員さん、車椅子の人でも簡単に移動が出来るエレベーター…。
そして、父に買ってあげた缶ビ
ールに刻まれていた点字もその中のひとつです。

私はこのような経験を通して「人に優しい街」とはどういったものなのかを知りました。
そして、日本に来てから初めて「身体障害者も私達と同じ生活空間で暮らしているのだ」と感じるようになりました。
今後、私が外出した時に彼らに出会うこともあるでしょう。

そして街で彼等が、いいえ、彼等だけでなく誰かが困っている場面に遭遇したら、私は「ほんの少しの勇気」を振り絞って彼らに「お手伝いしましょうか」と言えるでしょう。
私は世界の全ての人々が「優しさ」と「ほんの少しの勇気」を持つようになれば、世界はもっと素晴らしく、誇りあるものになると思います。


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