2004年11月23日外国人による日本語弁論大会
トークセッション
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弁論発表の終了後、審査員の審査を待つ間に発表者全員が参加するトークセッションが行われました。司会は京都西ライオンズクラブメンバー:京都市会議員中村三之助氏
なごやかな雰囲気の中で各スピーカーの発表内容にそくして司会者が質問し、対話形式でトークがくりひろげられていきました。

司会:

それでは、ただ今から、12名の参加者によるトークセッションを始めさせていただきます。

進め方は、私からお一人お一人に、先程発表されました内容から、特にもっと聞いてみたいなと思うことや、他の皆さんはどのように考えたりするのか尋ねたりしながら和やかに進めていきたいと思っておりますので、皆さんのご協力を宜しくお願い致しますね。また、時間に限りがございますので、一人でながーく話し過ぎないようにその点もご協力をお願い致します。 
 それでは、さっそく一番目に発表していただきました、オーストラリアからお越しのヨウ・チョイさんからお聞きすることと致します。
ヨウコ・チョイさん。トップバッターで発表していただきましたが、緊張しましたか?

ヨウコ チョイ(オーストラリア):
はい。とても緊張しました。

司会:
ヨウコ・チョイさんは、「車窓から窺う日本の姿」という演題で発表していただきました。
その中でヨウコ・チョイさんは「世界中のどこであろうとも、電車はある一つの社会を凝縮し、反映している…」とおっしゃっておられますが、皆さん、確かになるほどなぁと思う所がありますよね。ヨウコ・チョイさんは、日本で生まれ、5年3ヶ月まで日本におられたということですが、どこで生まれ育ったか覚えていますか?

ヨウコ チョイ(オーストラリア):
多分大阪だと言うことは分かっているのですが、詳しくは、覚えていません。

司会:
ヨウコ・チョイさんは、日本で、二人の恩師から指針となる言葉がとっても影響を受けているということです。一つは「オーストラリア人としての自分を保ちながら、日本人らしく生きるように」という言葉と、もう一つは、ラテン語の「CARPEDIEM」カルペディエム。この日をつかめ、今日を楽しめ。という意味だそうですが、この言葉をしっかり受けとめて、これから頑張っていかれるヨウコ・チョイさんです。さぁ、ヨウコ・チョイさんの将来の夢は何でしょうか?

ヨウコ チョイ(オーストラリア):
わたしの夢は、国連のHREOCにおいて、弁護士になることです。

司会:
それは、すばらしい夢ですね。きっと適うように祈っておりますね。頑張って下さい。

司会:
さて、次は、中国から来られました、ソウ・エイキンさんです。ソウ・エイキンさんの演題は「ボランティアに溢れる社会づくりを目指して」でした。

司会:
インターナショナルサービスセンターとは、どのようなものかとインターネットで調べました。特に京都ISCとは、インターナショナル・サービス・クラブ。メンバーが訪れたり、滞在した世界の各都市や街での多くの出会いや、もてなし、それぞれの文化や価値観を理解し、尊重しようとする姿と受けた体験がこの活動の始まりで、京都ユースホステル協会所属の国際交流グループとして1987年(昭和62年)より活動が開始された。京都では宇多野のユースホステル協会が母体となり、外国人や日本人の生活や文化、習慣を理解するための援助や交流を目的としたグループです。昨年末には、最優秀活動者に選ばれたということのご発表がございました。もう一度皆さん拍手を送りたいと思います。(会場拍手)今はどんな活動をなさっているのですか

ソウ エイキン(中国):
ついこの間、16日に中国から国家青年団が30人位、京都に来ました。それで18日に一緒に京都市内を廻っていました。

司会:
そういう意味では、ずっとボランティアを続けて頂いているということです。最後に、「私は中国で、ボランティアの先駆けとして活動をしている人達と手をたずさえて、ボランティアにあふれる中国の社会づくりを目指して行きたいと思います。」という事ですが、ボランティアと言っても活動は広いです、中国ではどんなボランティア活動をやって行きたいのか、具体的なものをお持ちですか?

ソウ エイキン(中国):
   私は、中国に帰って日本語教師になりたいと思います。そこで先ず、学生を通じて校内から地域社会に広げて行きたいと思います。

司会:
   皆さんどうでしょう、この会場のライオンズの方は皆、ボランティア活動をやっていらっしゃる。11名の方に聞きますが、ボランティア活動をやった事があるという方、手を上げてください。(3名挙手)と言うことは、それ以外の方は無いと言うことですね、手を上げた方に聞いてみましょう。



ヨウコ チョイ(オーストラリア):
   私は、弁護士費用が出せない人達の為に、ただで弁護士のアドバイスをしてあげたり、また、身体不自由者の人達と一緒に買い物に行ったり、自然を見に行ったりしました。

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   広く子どもたち向けの指導を、合宿中の指導をさせて頂きました。

パトリック ウー(アメリカ):
   私は、老人ホームを訪問したり、日本文化クラブのメンバーとして、日本の祭りを地元の方に紹介する祭りの手伝いをしたりとか、いろいろやっているんですけど。

司会:
と言うことでございます。どうかこれからも、是非とも夢が実現するように頑張って下さい。皆さん拍手をよろしくお願いします。

司会:
3番目はイランからやって来てくださいましたべへナム ジャドザデさん、「世界がひろくなる」と題して発表して下さいました。今、うどんはどうですか?

ベヘナム ジャヘドザデ(イラン):
うどんは大丈夫です、納豆がまだ・・・、5年ぐらいかかりそうです。

司会:
   日本人のなかでも納豆があかんと言う人がけっこういるのですよ、特に関東と関西では・・・。この11名の方、納豆は、ちゃんと食べられるという人?(3名挙手)あかんという人?(8名挙手)正直でよろしいですね。
 そこで、「日本料理に馴染んでから日本人の気持ちが分かり、日本語も上手くなったような気がします。」そういうお話を頂きましたが、同じような思いを持ったなぁと、聞いていて思った人は居られますか?

サイ エキカ(中国):
   日本人の夫がいますので、料理を作るときに、中国料理ばかりではよくないと思い、中国料理と日本料理と両方作るようにしていますが、最初のうちは中国料理が殆どでしたが最近は、日本料理も作るようになりまして、醤油とか、砂糖、お酒・・・

司会:得意な日本料理は?

サイ エキカ(中国):
   おでん 

司会:
   おでんが得意料理という事ですか、さて、「同じ日本人の家族と一緒に過ごし、同じ食事を味わったおかげで、日本の文化や習慣、日本人についても一層理解出来るようになりました。」と、その後、日本の食文化について思って居られることは?

べへナム ジャへドザデ(イラン):

   食文化も、日本人の世界を作っていると思うのでそれを味わいたい、そのおいしさが分かったら日本時の気持ちも分かると思う。日本だけではなく、何処の国もそうだと思います。例えば、日本人がイランへ行ってもイラン料理は、最初にあまり食べられないと思うか、ちょっとずつ食べるようになって、そうすればイラン人が持っている世界、食文化もその一部ですが、それを味わったらイラン人の気持ちが分かるとか、その習慣も分かるとか、それも国に対しての理解の一部だと考えています。

司会:
   確かに、それもそうだなぁと思いますが、皆さんは日本食と聞いて何を思い浮かべますか?

ソウ エイキン(中国):
   私の大好きな天ぷらを思い浮かべます。

サイ セイ(中国):
   きつねうどん。

ヨウコ チョイ(オーストラリア):
何も思い浮かばない・・・、すき焼き。

ジョ ジェミョン(韓国):
   お寿司かな?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
刺身。

サイ エキカ(中国):
   おでん。

コウ イチホウ(中国):
   お寿司。

シン エンヒ(中国):
   刺身。

ブリマ(中国):
寿司とだてうどん

パトリック ウー(アメリカ):
すき焼き

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
和食と中華と分けて?日本食?ラーメン大好き。

司会:
   ラーメン、あれは立派な日本食ですよね、では、最後に将来の夢、どんな仕事に就きたいか?

べへナム ジャドザデ(イラン):
   将来の夢と言えば、日本語の教師になりたいんですよね、実際に6ヶ月ほど日本語の教師になった事があるけど、イランでは教えた事もあるので日本での勉強が終わったらイランに帰って、日本語とか、日本の文化とか、日本に関係している言葉とかを大学で教えたいです。

司会:
   是非、教師を目指して頑張って下さい、大きな拍手をよろしくお願いします。

司会:4人目は、中国からお越し頂いたサイ セイさん、「真実を守りつづける旅―私の輝く人生」という事でお話頂きました。10倍もの競争に勝って、空港社員になって、ある意味で一つのエリートの道を歩みながらも、「私の人生の道はこんなんじゃない」と思って、一大決心をして日本へ来られたと、そうですね。そこで、言葉の壁というのをいうの感じられたのですが、

サイ セイ(中国):
そうですね、最初のとき、買い物もできなかったんですけど、三日間ぐらいずっと、中国から持ってきたクッキーとかいろいろでなんとか・・・。

司会:
全然頼りも無く、来られたのですか?

サイ セイ(中国):
そうですね。

司会:
ものすごい冒険ですね、「しばらくの間は、壁が私の友達でした」と、淋しいですね、これを読んでいたら涙が出て来るような文章がいっぱいあるんですよ、後、「2ヶ月後のクリスマスがやって来たら、バイトも見つからない、お金もない、暗闇の中で落ち込んでいました」と、けっこう詩なんですよね。「冷たい風が入ってくる寒いアパートで・・・」とか、「涙が賀茂川の水と一緒に流れて行きました。」どうですかこの表現!「鼻の奥がツーンと熱くなり、熱い涙が流れて来たのを覚えています。」それから、まだまだ知的な文章がね・・・、これは最後のところ、「途中で、今は明るい太陽のもとで、とても元気に生き生きと咲くひまわりようになりました。」「蛍みたいに、小さくてもいいから、生きている限り輝きたい。困難を怖がらないで、落ち込まないで、自分のことを信じて、夢追う旅へと飛び立ちましょう。山を登って、海を渡って私は明るいものを探し続けて行きたい。今、私が見たのは暗闇の中で輝いている素直な自分の姿。」本当に、詩が好きなんですか?

サイ セイ(中国):
よく詩とか、書いています。

司会:
   「今、私が見たのは暗闇の中で輝いている素直な自分の姿。」その暗闇の中と言うのは、一体何を指しているの?

サイ セイ(中国):
   暗闇は、昔、中国で就職していたときは、外で見ていたらすごくいい仕事で、でも、自分の中は何も自分のやりたい事じゃないから、自分のやっている事が分らなくなって、何か暗い感じ。自分自身の事が分らなくなって、それで日本に来ても、最初の一年間、いろいろバイトも見つからなくて、日本語も分らないとか、すごく暗いですよ最初の一年間は。そんな暗いのは、私は最後に暗闇の中でまだ輝きたいという気持ちで・・。

司会:
   いつまでも暗闇の中で輝かなくても、もっと明るい中で更に輝くようになってなって行かれるように、そう望みます。それから、ラーメン、日本のラーメンがおいしいとおっしゃっていたでしょう、ラーメンってね、日本でも皆、必ずと言うくらい食べるのですが、トンコツ味とか、醤油味とか、えっ!カップラーメンの話とちがいますよ、お店で食べるラーメンで美味しかったという、因みにその時に食べたラーメンは何処のラーメンですか?どういう味の?

サイ セイ(中国):
   醤油ラーメンかな。

司会:
   中国では無いですよね、日本のいろいろな類のラーメンというのは。さて、最後にお伺いしたいのは、「私のこれからの夢は、少しでも人の心を明るく、温かくして和らぐ事のできるようなデザインをすることです。」どのようなジャンルのデザインをやりたいと思っていらっしゃるのですか?

サイ セイ(中国):
   今は、ウェブデザインとか、コンピューターグラフィックスとかデジタルのデザインとかやっているのですが、将来はいろんな人、みんなすごく暗いときあるんですけど、その時、私のデザインするホームページとか、キャラクターとか、ポスターとかを見たら、少しでも心の中に何か、「ああ、和らいだ感じがする」というような、そんなデザインがしたいです。

司会:
   仕事としてそれが成り立つようにして行くところも大変だと思いますが、自分の好きな事で生活が出来るように、やって行けるようにお祈りしています。皆さん、激励の拍手をよろしくお願いします。

司会:
  さあ、つぎ5人目は、韓国からお越し頂きましたジョ ジェミョンさん。「日本はない」強烈な言葉ですね、しかし、正直にお話頂いたという感想を私は持っています。どうでしょうこの本を知っておられる方はありますか?(会場には)一人二人はいらっしゃいますね。(ジョ ジェミョンさんに)ベストセラーですか?

ジョ ジェミョン(韓国):
   そうですね、向こうでベストセラーになりまして、大分前のことなんですけれど、日本語でも訳して出たと聞いたことがあります。

司会:
   きっとそうでしょうね、知らないだけで。「 世界で唯一、本音と立て前という言葉が存在する程、二重人格者が一般の人であり、それが礼儀正しい人になるための事であると思う、変な国が日本だ」と、一文を紹介して頂いているのですが、どうでしょう、正直なところ、本音と立て前、それがわかりますか?本音と立て前というのは、皆さんの国ではないのですか?あるでしょう?

ソウ エイキン(中国):
   あるにはあるのですが、日本のように公の文化にはなっていないと思います。

司会:
   公な文化と言われるとちょっと・・・、日本人、特に京都人は奥ゆかしさがある、裏返せば本音と立て前がある、「どうぞおいで下さいと」言っていても来れば「えらい、厚かましい人や」と言うようなところがあったりするのが京都人だとか、日本の中でもよく言われているんですよね。ただそれは、独特の部分でそれを上手にこなしているのですが。私が本当かなとおもったのは、ジョ ジェミョンさんが話された中で、「私は日本に来てからキムチを食べるようになった」ってね、本当?

ジョ ジェミョン(韓国):
   本当です。私は、向こうでは殆ど食べてなかったです。

司会:
   そう?韓国へ行けば何処の食堂でも、食べ物には必ずキムチが出てきますよね、どんな料理を頼んでもキムチは必ず付いてくる。

ジョ ジェミョン(韓国):
   キムチは好きじゃなかったです。最近はそういう傾向があります。

司会:
   当たり前だと思っていることがそうではないという事が多分にあるということですね。書いて頂いているように、「文化や歴史的理由など、いろいろな感情によってゆがんだ情報が多い日本と韓国の間に、誤解や固定観念を超えた真の交友の始まりの、一歩踏み出す事が出来ればうれしいな」と。どうでしょう、そのような事で韓国の方で日本の実態を、真実を広めるような動きは、これからもやって行って頂くような思いで居られますか?

ジョ ジェミョン(韓国):
   勿論ですけれど。

司会:
   将来の夢は?

ジョ ジェミョン(韓国):
   将来の夢は多いのでけれど、政治家をやりたいと思っております。

司会:
   政治家を、実は私がですね、現職の京都市会議員をやっているのです。今は西ライオンズのメンバーということで、奉仕活動でこれをやっているのですけれど、京都も国際交流を、いろいろと、その関係者もおられますが、京都も財政が厳しくて、国際交流に係わる予算が毎年、削られて来ましてね、困っているのです。何とも苦しいのですが、その中でも、これは(本大会は)必ず維持しようと、やって来ているのですが、本当に大事な事だと思います。こういった国際交流が、国際理解に繋がって、そして皆さんがそれぞれの国で国際貢献の方に繋げて行っていただく、大きな期待のある方々の卵であると、私達はそう認識してやっているのです。先ずは、交流から始まって、認識。認識で終らず、皆さん方は更にもう一歩進んだ、国際貢献をして頂く、そういう人材として翔いてほしいと、このような思いなのです。頑張って下さい!

ジョ ジェミョン(韓国):
   ありがとうございます。

司会:
   日本人以上に日本人らしい心をお持ちの、スイスから来られたジェニー ウイリアムスさんは、「日本の武道と私」。先ずは皆さん、15才の時にスイスの全国空手大会に見事、優勝されました、もう一度拍手を送りたいと思います。すごいですね、

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   すごいという事ではないとおもいます、ラッキーだったんですよね。

司会:
   勝負事というのは、そういうラッキーも当然あるのですが、ただ結果が優勝と、2位、3位とは違うのです。金メダルと銀メダルの違いがあるように、それと一緒で優勝というのはすごいと思います。その武道をここでご披露して頂ければ一番いいのですが、時間もありませんので、披露はちょっと置いて、日本に来られた時に禊ぎをしたということですね、積もった雪の中で裸足で刀を振り回して、真剣ですか?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
はい。

司会:
   よくやっておられますね!何処にその魅力があるのですか?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   武道には、普通のスポーツより深いところがあると気が付いて、その武道の本当の意味って何か、意味を知りたいのです。

司会:
   その道を極めるには、まだまだずっと続くということなのですね。空手、合気道も、居合道も、まだ更にやりたい事はありますか?柔道とかは要らないのですか?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   しばらくは居合道で頑張ってみて、将来は分らないけれど・・・。

司会:
   剣道も、全ての武道を?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   将来は分らないが、剣道も、(全ての武道も)やってみたいと思います。

司会:
   今は、毎日どれくらいの時間、武道の練習をされているのですか?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   日によって違いますが、1日で4時間のときもあり、1日で休みもあります。

司会:
   京都の道場で、先生に就いて教えて貰っているのですか?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   はい、週に3回です。

司会:
   さあ、ジェニーさんの夢、将来の夢はどうですか?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   スピーチでも言ったのですけれど、熊野古道を歩きたいのです。

司会:
   歩いた後はどうしますか?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   歩いたら、日本のすばらしい自然を、伝統的な・・・、スピリットを感じたいです。

司会:
   スイスへ戻って、習得した武道を広めたいという事は?

ジェニー ウイリアムソン(スイス):
   日本に来る前は、スイスで空手を教えました、今はまだ将来の事は考えていません。

司会:
   では、その道をこれからも極めて、頑張って下さい。激励の拍手をお願いします。

司会:
   次は、中国からお越し頂いたサイ エキカさん、「優しい国と私の変化」。最初に持って帰られた缶ビールに点字が刻まれていたと、話は逸れますが、日本のビールというのは美味いですか?向うに持って行かれると、お父さんとかは喜んで下さいますか?   

サイ エキカ(中国):
   あまりビールは飲まないんですが、時々居酒屋とかへ行くときに気分が乗っていたりしたときに飲むと、ビールが美味しく感じられました。父はあまり美味しいとかは言ってませんでした、父は口数が少ない人なので・・・。

司会:
   美味しいとかの評価はなかったわけですね、そうですか。さあ、そこで、いろいろと福祉の方を此処でも書いて頂いていたのが、ピヨピヨの音の鳴る歩道という、視覚に障害のある方の為の施設ですが、そういうバリアフリーの施策が進んで、全ての関係もユニバーサルデザインを採用しようとかで、今の世の中の流れになってきている中で、それに感銘をうけて、「これからも世界の全ての人々が優しさと、ほんの少しの勇気を持つようになれば、世界はもっと素晴らしく誇りあるものになると思います。」ということで締めくくっておられるのですが、先ほどご結婚もされているということで、

サイ エキカ(中国):
   はい、そうです。

司会:
   ご主人は、この会場にきておられるのですか?

サイ エキカ(中国):
   来ています。

司会:
   ご主人!どうも、皆さんご主人でございます。良きご主人?

サイ エキカ(中国):
   大学の留学生係りの佐藤さんと同じ寮に住んでいるチョウさんと、友達も来て頂きました。

司会:
   是非ご紹介したい訳ですね、(会場に向かって)そこの方、今ご紹介頂いた方ですね、どうも、本日はご苦労様でございます。そうすると、自分一人の夢というよりも夫婦の夢ということになってくるのか、その辺は分りませんが、サイさんのこれからの進路、どんな夢をおもちですか?

サイ エキカ(中国):
   今日は、初めて京都国際交流会館にきました。この会館を見て私は、この様な仕事場で働きたいなと思うようになって、多分これが私の将来の夢になると思います。

司会:
   それでは職員の方、ひとつ覚えておいて下さい。来年採用試験を受けられるようですから。頑張って下さい!

サイ エキカ(中国):
   ありがとうございます。

司会:
   次は、中国からお越しいただいたコウ イチホウさん、「日本で得た貴重な経験―思いやりの心」、大事なことですよね、思いやりの心。「思いやりに対応する言葉は中国にはありません」と、他の国ではどうなのでしょう、イランでは?

べへナム ジャヘドザデ(イラン):
   日本ほどは無いと思います。日本ほどきっちりとしたものは無いです。

司会:
   では、韓国では?

ジョ ジェミョン(韓国):
   あると思いますが、韓国語が下手なので・・・。

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   あるかも知れない、ウクライナだけでなくて、ロシアにはあるかも知れない。

司会:
   新しい発見ですね、私も。では、「人間が持つ何よりも美しい思いやりの心、無償の愛そのものです」「私たちが生まれながらに持っているこの思いやりの心を大切にして行きたいと思います」と、返ってそこで病気になった事が、今となっては大変大きな収穫になったのですね。

コウ イチホウ(中国):
   はい、その病気のお陰で、本当に人間の思いやりの心を発見しました。

司会:
   コウさんも、日本語の教師を目指しているという、実は、私も今は市会議員をやらせて貰っているのですが、その前は小学校の教師をやっておりました、22年間教師をやって、そして、今この世界におります。

コウ イチホウ(中国):
   教師になりたいのは、此処に来る前に大連で院生として頑張っていました、その時バイトとして、日本語の私立学校で日本語を教えていました。その時は、教師というのは、ただ知識を教えるだけではなく、生徒と一緒に話したりして、自分の気持ちと生徒の気持ちを分かち合い、人間として同時に成長出来ると言うことを感じました。ですから教師になりたいのです、でも余裕があれば、趣味としてボランティアのアナウンサーにもなりたいのです。

司会:
   大事ですよね、ボランティアは自ずとそういう気持ちになって来ると思うのですが、昨年も、一昨年も、この弁論大会に来られる方で将来の夢は教師という方が多いです。そういう意味では、この日本という国の姿が、また京都の姿を正確に伝えて頂けるので大変ありがたいと思っています。「中日友好の架け橋になりたい」「自分の行動で思いやりという尊い心を伝えて、多くの人々に私の愛を差し上げたいと心から思っています。」と、頑張って下さい!

コウ イチホウ(中国):
   頑張ります。

司会:次は、中国からお越しのシン エンヒさん、「不思議な街で、奇妙な出会い」不思議な街というのは京都だつたのですね、今でも不思議ですか?

シン エンヒ(中国):
   はい、不思議です。だって、自分が今日ここに居ること自信が不思議だと思います。

司会:
   人前に出ると、緊張してしゃべれないけれど、教師になりたいと書かれている。日本に来られてわずか3ヶ月ですか?

シン エンヒ(中国):
   そうです、でも学校は日本語の専攻だったのです。

司会:
   だからこれだけしゃべれる訳ですか、すごいですね。それで、鞍馬山に京都の三大奇祭、奇祭とは、奇妙な祭りと書くのですが・・・、ところで京都の三大祭をご存じですか?   

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   祇園祭、送り火大文字と時代祭、済みません間違いました。

司会:
   今、祇園祭りと時代祭、もう一つは何でしょう?

パトリック ウー(アメリカ):
   葵祭り。

司会:
   葵祭ですね、この三つが京都の大きなお祭りですが、書いて頂いたのは奇祭。これは京都人でも分らないでしょう、実は私も分らなかったのです。一つは、鞍馬の火祭、会場の皆さん、あと二つは何でしょう?(会場より)太秦広隆寺の牛祭り、そうですね、その鞍馬の火祭はすごかったでしょう?あれを目の前で見たら迫力があったでしょう。

シン エンヒ(中国):
   そうなんですが、残念ながら一番にぎやかなところには行かなかったのです。



司会:
 では、東京のおじさんとお話ばかりされていたのですね、それと、古畑仁三郎、なぜそれをご存じなのですか?

シン エンヒ(中国):
 中国でも流されたのですから(テレビで)、そのドラマがあるでしょう、それを見て、日本に来て、そのマネージャーさんと出会って、けっこう不思議だと思いました。

司会:
  それでよく知っていらっしゃるのですね、今は日本ではあまり放送されていないのですが、

シン エンヒ(中国):
 昨日は見たのです。

司会:
それは特別番組です。シンさんも初めは、あの音の出る信号に、それと東京から来たおじさんとのお話の中で、「実は自分も中日友好の使者なのではないかと思った」と、「確かにその時は、自分が日本で経験した全てを母国の人達に伝えたかった」などと、そして、日本に来る前から教師になりたいと、「教師になれば、一人の教師ではあるけれども出会う生徒は何千人いるかも知れない」と書かれています。

シン エンヒ(中国):
 はい、そう思っています。

司会:
   皆さんのなかでは、京都の在住期間が三ヶ月と一番少ないのです。

コウ イチホウ(中国):
   私は二ヶ月です。

司会:
   そうでしたか?それでは、まだ二ヶ月、三ヶ月という経験のわずかな方に、先輩の外国人の皆さんからアドバイスか、何かあれば。

ジョ ジェミョン(韓国):
  実家とかに返るときに、MKやヤサカを予約したりするじゃないですか、その時に、電話番号をちゃんと見てから予約しないと、普通の3000円のタクシーじゃなくて、黒い乗用車のタクシーが来るんで、僕は23000円取られました。そういうのが無いように、注意して下さい。

コウ イチホウ(中国):

シン エンヒ(中国):
   ありがとうございました。

司会:
   そんな事がありますか、参考になります。(シン エンヒさんに)では、頑張って下さいね!

司会:
   同じく中国からお越しのブリマさん、「自転車修理の効能」、さあ(会場の)皆さんに聞きましょう、自転車修理が出来るという人?けっこう、昔人間は出来るのではないですか?

ブリマ(中国):
   今の日本の若者は、それが出来なくて、自転車を修理するときの道具なんかを見て、「あっ、それは何ですか?」と聞くこともよくありますね。アパートの下で、自分の自転車を修理しているときに、小学生が通りかかったときに、「へぇー、これは何していますか?」と不思議で驚いている様子もよく見ますね。

司会:
   そうですね、最近若者は自転車修理をしません、けっこうおじさんは皆されていたのですよ。びっくりしたのは、(ブリマさんの)実家は街から遠く離れた、バスで8時間!

ブリマ(中国):
   はいそうです。私の実家はゴビ砂漠の近くで、中国の一番北の内モンゴルで、内モンゴルでも一番北です。

司会:
   まさか、そこまで自転車で行かれるのですか?

ブリマ(中国):
   ちがいます、自動車ですバスとかで。自転車は無理です。

司会:
   という経験から、「皆さん、実際に自分でやることの大切さが分らなくなっているのではないですか?私はそれが心配です」「機械化が進み発達した今こそ、自分の手で出来ることは少しでも自分の手でやった方がいいのではないかと思うのです。」確かに、その言わんとされているところはよく分りますよね。全てが機械化で、要するに、汗を流すと言うところも人間には必ず必要だということも、ね。では、ブリマさんの夢は?

ブリマ(中国):
   私は、自転車屋さんにはなりたくないです。私は会計士になりたいです。

司会:
   会計士の夢が実るように、頑張って下さい。

ブリマ(中国):
   はい、ありがとうございます。

司会:
   次は、アメリカから来られたパトリック ウーさん、「異文化を尊重出来る社会作りへ」と言うことでハワイから、けっこう、いろいろと向うでもされているのですね、大学の方で。今は交換留学生としていらっしゃる。「一番貴重な経験は、人と人のふれあい」と言うことを強調しておられますね、この中で印象に残った言葉は、「心と心のふれ合い、それは戦争とテロの頻発する21世紀を生き抜く為に必要なものではないか」「個人レベルで我々に出来るのは、平和への第一歩として、国際交流の活動に意図的に参加すること、」そのような意見をもって、そして「日本で得た知識や貴重な経験を自分の国に持ち帰り、それを生かして国際交流の場をたくさん作って行きたいと思います。」とお書きですが、具体的な中身をお持ちですか?

パトリック ウー(アメリカ):
   私の夢でもあるんですけど、先のコウさんと同じで、自分の国と日本の架け橋になりたいんです。今、大学院の方で博士号を目指して頑張って居りますが、出来れば大学教授になって、日本語や日本文学を教えることによって、日本の文化をアメリカの学生に紹介したいと思っております。日本という美しい国のいいところを是非見て頂きたいですから。

司会:
   大いに応援します、期待しています。頑張って下さい!

パトリック ウー(アメリカ):
   ありがとうございます、頑張ります。

司会:
   最後にお話いただいたのは、ウクライナからお越しのミグダリスキー ウラディミールさんです。「出会い出産」ということで・・・、ミグダリスキー 

ウラディミール(ウクライナ):
   すみません、「立ち会い出産」です。

司会:
   ごめん!「立ち会い出産」、

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ)
   出会いから出産までに1年半が経ちました。

司会:
   どうもありがとうございました。立ち会い出産、そして、ジェニァちゃんが先ほど泣いておられましたね、何処においでですか?

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   申し訳ございません。ご迷惑をかけて・・・、

司会:
   ジェニァちゃんと奥様、お越しだと思います、何処においででしょうか?

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   今、そっちに、

司会:
   どうか拍手をよろしくお願いします。起こさないように、

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   ありがとうございました、それと応援してくれている方々には感謝の気持ちで言わせていただきました、ありがとうございました。

司会:
   応援していただいている皆さん方、ありがとうございました。応援者ちょっと手を上げてください、あ、けっこうおられますね。ありがとうございました。皆さんどうでしょう、ご本人は、立ち会い出産は絶対やるべきだ、

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   ダー、ダー、ロシア語で「はい」です。

司会:
   「私の方から言いたいのは、男性も立ち会うべきだ」「一生の一番大事な仕事をする妻を見て下さい、頑張っている妻の姿を見るべきだと思います。」、会場の男性の皆さん、立ち会い出産、やるべきだと思う方、手を上げて下さい。はい、わかりました。ではそこまでは思わないという人、手を上げて下さい。はい、やはり年代でしょうか。今の様子を見て何か、ご感想はありますか?

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   まあ、時代が変わったのです。

司会:
   時代が変わって行く、そのとおりでしょぅね。お話の中で、児童虐待、幼児虐待の事件が多発している中で、立ち会い出産をする事によってその認識は変わると、

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):
   だとおもいます。

司会:
   その話をきいて、なるほどそうかも知れない、私も思いました。最後に聞きますが、今お子さんはお一人ですね、ではあと何人ぐらいほしいですか?

ミグダリスキー ウラディミール(ウクライナ):

   えーっと、指が足りないぐらい。人間の欲望はたまらないから、ほしいと思うことと、実現出来ることは別々、だから、希望は無限、

司会:

   そういうことで、頑張って下さい。これからも、お子さんと一緒に楽しい有意義な生活がずっと続くことを、ご祈念申し上げ、拍手を送りたいと思います。

司会:

   という事で、もっと話がしたいのですが、予定の時間もオーバーしています。こういう形で多くの外国人のみなさんが、また留学生も多くおられるのですが、我々西ライオンズクラブと、京都市がこういった企画をしている中で、我々自身、日本人の、今、聞いて頂いている方自身が、外国の方のご意見から新たな発見があるのと同時に、外国の方、留学生の方々もきっと母国へ帰ったら、色々な立場、場面で多く活躍される事が多い方だろうと思うのです。そういう方が一人でも多く、本当の日本、また本当の京都の良さを、また、悪い所もあるでしょうが、真実を伝えて頂くそのような役目として、国際交流、国際貢献に繋がっていく担い手として、活躍して頂く事を心から望んでいる訳でございます。
 どうか、これからも益々皆さんご活躍を、それぞれの立場、それぞれの道で活躍していって頂くことを心からお祈りして、このトークセッションを終えたいと思います。皆さんどうもありがとうございました。

(ビデオテープからの聞き起こしのため誤記があるかも知れませんが何卒ご容赦下さい。)


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