「日本で得た知識や経験
挑戦を止めないベンチャーの魂
−起業精神」」
チョウ チョウショウ
  私は中国の大学を卒業してから、外資企業に勤め、約3年間半の働きを経てから、やっぱり何かが自分には足りないと感じ、将来への夢を抱き、この日本への留学を決めました。

 私が日本留学を選んだ理由は、大学時代での2年間の日本語の勉強、そして、会社時代に日本経営システムが中国に移転され、支障をきたしていたことから、真の日本経営システムを身につけ、将来自分の会社を作るんだという思いでした。

 そして、2000年4月に、空港で母親の
「我回家的路短、▲出▲在外路▲−私の家までの帰り道が短いけれど、あなたの留学の道は果てしなく長いのよ」
意味深い言葉が身に沁みて、一人で中国の一衣帯水の隣邦日本という国へ参りました。

 飛行機を降り立って、福岡空港を出た瞬間に、満目の緑色、ゴミひとつない道路、澄み渡った青空、新鮮な空気、礼儀正しい人々の優しい笑顔…私にとって、それらがすべて成功への兆しでした。

 しかし、日本社会で生活をしていく内に、厳しい現実に直面することになりました。
日本語学校の一年間に、日々、日本語の勉強、アルバイト、大学院への受験勉強等に追われ、全く余裕のない生活を送り続けました。

 こうして家族を離れ、異国他郷に身を置き、はじめて家の大切さを感じるようになりました。
偶に、仕事のない日に、別府の夜の帳が下りてから、窓を通して、近くに見え、実際遠くにある輝きの灯りはほのぼのとしていて、一瞬身に沁みるほどにその暖かさを感じました。
けれども、一旦それは自分のものではないと気がつくと、その暖かさも拒まれたような気がしました。
そんな時に、母親のうるさくも暖かいつぶやきを思い出し、疲れきった体を癒してくれる安らぎの場としての家が自然に頭の中に浮かんできて、気持ちが落ち込みました。
けれども、「どんな時でも、将来への夢を諦めない」とある先生からの励ましの言葉、「勤勉な努力をすれば、必ず報いられる」バイト先の店長からの激励などを思い出して、自分の努力の源としたのです。

 苦境は宛も暗く、長いトンネルのようなものだが、絶対に迷わず、既定の方向に向かっていけば、必ず光が見えてくるとそう固く信じ、継続的に努力すれば、絶対に通り抜けることができます。
暗い状況において、自ら落ち込んだ気持ちを調整しなければいけません。
心機一転をすれば、心の中から困難を乗り越える自信もどんどん湧いてきます。

 そして、一年間の努力を経て、同志社大学院に入学できました。
この一年間に分かったことは、生活の中では、すべて順調満帆ではなく、苦境に陥った時に、焦らず、諦めず、すべてが努力と継続を積み重ねることです。

 後半年で修士を卒業することにあたり、大学院の生活を振り返ってみると、自分の脳裏に深い印象を残してくれた一つの授業がありました。
それは京都の10数人創業者達からの創業話の授業でした。
その中から何を考え、何を学んだというと、やはり生きる、その喜びを噛みしめるために挑戦を止めない魂であり、目標を実現するためにあらゆる困難と闘いぬく情熱を持つことです。

 日本では、京都がベンチャーの源と言われています。世界有名な企業の中で、京都地区で生まれた大会社は京セラ、任天堂、オムロン等数々あります。
特に、堀場製作所の堀場氏、オプテックス社の小林氏、京南物流株式会社の村上氏の話を伺うと、それぞれの創業ドラマは異なっていても、常に目標を持ち、物事に拘らなく、新しい変化にチャレンジしていくことが共通なところです。

 一方、その授業を受け、母国−中国のベンチャー精神を考えるようになりました。
1980年代から、中国には沢山の中小企業が設立されましたが、あくまでも、こういうものが作ったら売れるし、金も儲かるという低いレベルの欲望モチベーションで、長続きはできませんでした。
真のベンチャー企業としての新しいものにどんどんチャレンジしていく・経営者の価値実現等のベンチャー精神を象徴するものは全くありませんでした。
しかし、90年代以降、特に北京の中関村には現代式のベンチャー企業が次から次へと設立され、特に、海外留学生の帰国創業によって、起業が一層のブームになりました。こういったベンチャー企業の精神は1980年代の企業と全く異なり、単なる金儲けだけではなく、起業家の自己実現や、新しい変化にチャレンジする考え等が盛り込まれました。

 日中両国の状況は全く異なるが、成功した企業は共通点があります。
それは絶えず困難と戦い、物事に拘らなく、新しいものに挑戦していく精神です。
更に、この精神を広げていくと、個人や企業に適用できるだけではなく、国にも適用できると考えられます。

 今まで日本社会は資本主義と言いながら、実際日本全国どこへ行っても、あまり格差が見られない政策を実施してきました。
その政策のお陰で、日本は世界の最も豊かで、格差が最も小さい国になりました。
しかし、この豊かの環境の中で、人間の惰性がだんだん現れてきました。
私が一部の大学生からこのような話しを聞いたが、「私は別に何もしなくてもすんなりと生きていける」。そうすると、人間の働き、物事に挑戦する意欲がなくなったために、社会全体の活力を失っていくのは当然のことでしょう。
その活力を回復させるために、ベンチャー起業精神が起こるような政策が必要です。
即ち、社会悪平等をやめて、人々の個性を生かし、実力主義で競争をさせるのです。
激しい競争の中で、新しいものを次々に創造していくことができます。
一つ一つの企業がそうなれば、社会全体の活力が回復し、好循環の軌道に乗せることができます。

 一方、中国はちょうど逆の状況にあります。
社会主義でありながら、実質的に市場経済政策を実施しています。
特に、とう小平さんの改革開放政策を実施して以降、社会の活力が著しく進み、急速な発展を遂げてきました。
しかし、現在地域格差の拡大によって、社会不安の一因になりました。
中国政府はこの点に気づき、西部大開発等の政策で地域格差を縮めようとしています。
けれども、従来の悪平等に戻るわけにはいきません。
社会全体の活性化を考慮しながら、格差を縮小するしかありません。その点では、ある程度に今まで日本の政策が参考になると思われます。
但し、以上のようなベンチャー精神が失われると、社会・国の活力もなくなるので、その点を十分に考慮しなくてはなりません。

 「失われた10年」と言われる現在の日本社会では、こうしたベンチャー起業精神は経済回復や更なる発展の原動力になると思います。

 大会社の改革はどんどん進み、「柔軟で風通しのいい個人本位の経済社会」にも変わりつつあります。「夢」と「志」を持つ人の起業もだんだん多くなっています。

 起業精神が盛り上がれば、高い技術力を持つ日本社会はいつか必ず回復し、更なる発展を遂げると私は固く信じております。

 また、自分自身もたとえ時代・国が違っても、いつまでも絶えず困難と戦いながら、物事に拘らなく、新しいものに挑戦していく精神が必要だと再認識できました。
これからも自分の夢に向かい、自分の選んだ道を、信念を持ち、しっかりと歩み、最大限の努力とチャレンジをし、新しい人生を切り開きたいと考えております。


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