「教育と経済について」
ジン ジンフ
 みなさん、こんにちは!いまからしばらくの間、私のつまらない話に付き合ってもらったらうれしいと思います。

 「不景気」よ、何とかかんとか言いながらもまだ世界前列に立っている日本、特にその経済の支えとなった日本の教育システムと教育者達の努力に何度も心から感心しました。その一方、私の国の経済と教育に不安も感じています。そこで今日は「教育と経済」についてお話させていただきたいと思います。

 中日友好30周年をむかえた今年、日本のメディアは飛躍的に変わりつつある中国の現状を大いに宣伝しています。世界最先端技術を大胆に取り入れて毎日違う姿を見せている上海、その発展の後ろにある「海亀族」達の活躍などなど。89年、アジア金融危機から逃れられた中国、いまだアジア他の国とは違って経済成長を見せつつあります。改革開放以来、急な成長を見せているのは事実である反面、まだ農村人口の過大、貧富と地域差など大きな問題が残されています。ひとごとで言うと、まだ日本より遅れているのが鉄のような現実であります。

 たぶんみなさんもテレビなどを見ながら気付いたと思いますが、私もその変わりつつある私の国の若者達に大きな共通点があることに気付きました。つまり、全身がパワーで溢れる若い人たちは「安定した、もっといい将来の生活」のために頑張っているのです。最近、周りの日本人からよく「中国の若い人たちはえらいですね。将来のためにはっきりした目標を持ちよく頑張りますね」と言われます。たぶん言っているほうはお世辞で言っているかもしれませんが、中には本当の気持ちでいってくれる人もいます。その度に私は思います。「それがどうだと言っているんですか」と。同じ中国人には「あなたこそ何をえらそうにいっているの?」と言われるかもしれませんが、怒らないで最後まで聞いてください。

 敗戦後、1947年日本の文部省は当時の状況にふさわしい「学習指導要領一般編」を発行しました。「早く、高く」つまり物質的のハイレベルを重視した結果、信じられないほどの成果を成し遂げて、今日ではとても豊かな国になりました。しかし、大事な教育本質を見逃してしまって、80年代に入って「いじめ」「体罰」「不登校」など、さらに90年代には「学級崩壊」などの問題が起きてしまいました。最近ではまた少年犯罪事件も多発しています。これはおそらく、技術など物質的な面を重視した旧学習指導の後遺症ではないかと思います。かつて、貧しかった時代では「いい生活」−という目標に没頭して他のことに専念する余地がなかったが、豊かになった今ではその意味を失われつつあります。そこで日本の教育者たちも、その危機に対応すべき研究を重ねてきます。証として今年の春から既に小、中学校では「生きる力」の育成を目指す新学習指導要領が実施され、来年の春からは高等学校でも実施される予定です。

 私が不安に思っているのは、今の中学の教育は正に日本の40年代、50年代の学習指導要領みたいなものではないかということです。もちろん国の政策、制度の違いもあって必ず中国も日本みたいになるとは言えません。しかし、教育の目標が主に「もっといい生活」であれば、もしその目標が達成できた後は必ず混乱が生じるのではないかと思います。中国の諺に「10年で木を育て、100 年で人を育てる」というのがあります。周知の通り教育というのは、お腹が空いた時の食べ物とは違ってその効果がすぐに現れるものではありません。しかしながらも、何か問題が起きてから教育に力を入れるというのも遅いことであります。もちろん私は自分の国の教育がパニック状態に落ちることを望みません。いままで儒教、入試などを重視した学校のシステムによって支えられてきた教育制度も、もっと遠い将来に目を向けて人格形成を目指す教育になれるべきではないかと思います。

 教師を目指して日本の教育現状を勉強しながらつくづくと思っているのは、「あ、日本に来て日本の教育を受けてよかった」ということです。また、現役の教職員先生たちとの付き合いの中で、指導案の作成から授業、評価に至るまでの大変さにもかかわらず、一所懸命努力している姿に心を打たれたこともたくさんあります。今、日本での勉強のチャンスを掴んでできるだけたくさんのことを学んで将来、私が教壇に立った時に有効に生かしたいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。
私はある日、テレビニュースで高齢者人口に関する調査の結果を聞いて驚きました。
それは今年敬老の日を迎えて総務省が発表した高齢者人口の数値でした。
その調査によると2002年9月、日本の65歳以上の高齢者人口は2362万人、総人口の18.5%であり、その上に75歳以上の後期高齢者は1003万人で初めて1000万人を超えたということでした。
私の国である韓国も高齢者人口が毎年増えて行き、これから韓国も本格的に高齢社会が到来することを考えて見れば、今日本の高齢者人口の現実は大きな意味を持っていると思います。
私はさらに考えました。
 人口の大きな部分を占めている高齢者について、私たちはどのように思っているのだろう。
 超高齢社会に向かっている今の日本に必要なのは一体何なのだろう。
もちろん日本という国についてよく知っているわけではありません。日本でたった半年生活しているだけですから…。
 ですから日本へ来てやっているボランティアの経験を通して、いろいろ皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
 私は今年5月から‘バプテスト’という老人保健施設でボランティアをやっています。
日本でボランティアをするようになった理由は、韓国でも老人福祉を専攻している私にきっといい経験になるはずだと思ったからです。
 ここでのボランティアは、私が思ったより以上に私の良い体験になっています。
私がその施設でやっているボランティアの内容は集団リハビリ介助、食事補助、作業療法の介助、利用者の話し相手などです。利用者と一緒に体操をしたり、色紙で貼り絵をしたり、残るほとんどの時間は利用者に声を掛けて話したりしています。
 私がここでボランティアをしながらちょっと驚いたのは、ここではなるべく利用者に全てのことを自分の力でさせるような雰囲気があることでした。
 “大変だが自分で頑張ってやろう”という意識を職員も利用者も持っているようです。
寝たきりや痴呆症の高齢者も自分のことは自分でやりたいという最低限の意志があって初めて生きていると言えるし、周囲の人々もそれを助けるのが本当の介護ではないかと思いました。
 それから、また、利用者たちと話をすると老いについて、もっといろいろ考え込むようになりました。
 もちろん私は外国人だから日本語でうまく表現できないし、その上お年寄りの発音はなかなか聞き取りにくくて大変ですが、私も相手も頑張って話します。
 大事なことは、話をすることそれ自体ではないでしょうか。
 高齢者について言えば、いくら必要なものを全て与えてもらっていても、何でもしてもらっている状態でも、「寂しい」ということがあるわけです。ですから話をすることはとても大事なことだと思います。

 私の場合、日本と韓国の習慣の違いとか、韓国の生活等を話したり、利用者に日本に関して聞いたりしています。
 例えば、食事マナーに関する話題が出ると、“日本ではどういうふうな食べ方がありますか”と聞いたり、韓国の食べ方を手を使って説明したりします。
特に私が何かについて聞くと、お年寄りはとても嬉しそうな顔をしていろいろ教えてくれます。
 それに、私を勇気付けてくれる事さえあります。
“あなた、日本語が上手になったね。日本の生活にはもう慣れてきたの。”というふうに…。
 そんな時は私こそ利用者達に助けてもらっているような気がします。
 それ以外にも今までの私の偏見を考え直してくれるような事はたくさんありました。

 ある日の事でした。
 そこで小さな音楽会が開かれました。利用者たちはピアノの周りに集まっていました。
ピアノを弾いていたのは私でも、そこの職員でもなくて、そこのお年寄りでした。目もよく見えないし、指の感覚も鈍くてうまく弾けているわけではありませんでしたが、そのお年寄りは一所懸命ピアノを弾いてくれました。それからほかの利用者達と、職員達、私は皆声を揃えて歌いました。
 本当に私にとっては忘れられない一瞬でした。
目も良く見えないのに頑張ってピアノを弾いてくれたそのお年寄りの姿も、そこで歌った歌も、拍手しながら歌っていたみんなの嬉しそうな顔も…。

 今超高齢社会に向かっている日本の社会に必要なのはこのような事ではないかと思います。
 お年寄りに声を掛けて近寄る事、なんでも一緒にやってみる事…。

 皆さん、どうですか。
 お年寄りに声を掛けてみませんか。


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