「商店街でお買い物をしたい」
カン ホアン フーン ブー
 ベトナムの田舎町で育った私にとって、初めての外国、初めての日本は、すべてが珍しく魅力あふれる世界でした。でも、普段のお買い物、スーパーマーケットでは、大きな戸惑いを感じました。

 ベトナムでは、街の中心にある市場や路地裏の小さな雑貨屋さんしか知らなかった私にとって、日本のスーパーマーケットは、異様な雰囲気を感じてしまいました。
お買い物の人たちは、商品の間を静かに移動し、黙って購入する。レジのお姉さんはロボットのようにお客さんにお辞儀をし、手際よくレジの仕事をこなし、お金を受け取る。
その無駄のない動きに驚かされました。
お店のなかでは、人の代わりに機械がしゃべる。
録音されたテープからは、「本日は、お魚がお買い得です」などのアナウンスが息せき切って叫び続ける。多種多様で形のそろった商品がきれいに並べてはありましたが、自分の国と全く違った買い物のやり方のため、私は疲れはててしまいました。
人と話をしようとしても、喋っているのは対話のできないカセットレコーダだけでした。

 飢えに苦しまないほどの簡単なお買い物は何とか済みました。
部屋に戻った私は、ベトナムでのお買い物を懐かしく思い出していました。
毎朝、すがすがしい空気を胸いっぱい吸い、近くの市場まで散歩がてら歩いていったものです。
遠くから早朝の市場のにぎわいと独特の匂いが流れてきます。
市場の入口のお店から、「カンちゃん、今日新鮮ないわしが入ってるよ。食べないかい」と笑顔で誘われます。
学校の帰りに立ち寄った日は、「カンちゃん、学校終わったの。残ったお肉をおまけするからね」などと笑顔いっぱいの声がかかります。
また、路地のお店で雑貨などを買うときは、「可愛いお洋服を着てるね」と、よく言われました。
市場の人たちは、たくさんのお客さんの顔をよく知っています。
ベトナムでは、売る人、買う人の間で「会話」なくして商売が始まらないわけです。そこでの話は、とても簡単なものではありますが、。
会話そのものは、人と人とが会ったときに欠かせないものとして、私の身体に深く刻まれたのでした。

 そんなわけで、日本のスーパーマーケットでお買い物したら、とても異様な感じがしました。
ですから、私はいつも自分にしゃべりながらお買い物します。
「この玉ねぎちょっと高いわ、形はそろってきれいだけどね」「韮はこんなにたくさんいらないのに、パックに入っていて仕方がないなあ」、「ちょっとエアコンが効きすぎね」など、ぶつぶつ言っています。
お店の不満があっても話しようがありません。スーパーにおいてある「アンケート」に書くなんて、テープレコーダの次に今度は紙を相手にするようなものだと思います。

 スーパーが苦手になったそんな私には、この経済大国に商店街が残されているのは、幸いのことと思います。
下宿から自転車で10分ほどのところにある新大宮商店街によく行きます。
商店街のお店はお魚屋さん、お漬物屋さん、お花屋さん、みんなそれぞれの個性があります。
特に、私の大好きなお豆腐は、京都の味がします。それに、形にこだわらず、適当な量を買いたい私にとって、ここはとっても経済的です。
そして、お店の方と美しい京都弁を片言で話すことができるのは、私の密かな楽しみです。

 ときどき、おみかん一個をサービスしてもらったり、お漬物の量を増やしてもらったりすることもあります。「おまけ」をもらうと、単純にうれしくなるのは、誰にもあることでしょう。
買い物の楽しさは、完璧に選ばれたものを買ったり、レジでのパターン化された挨拶を聞いたりすることにはないでしょう。

 しかし、残念ながら、商店街よりもスーパーマーケットやコンビニの方が現代人に人気があるようです。
日本の代表的な文化都市、日本人だけでなく、海外の人もあこがれるこの京都の街に命を吹き込んでいるのは日々営まれる商店街の支えがあってのことです。
しかし、そうした商店街の3分の2が10年後には維持しがたいと言われています。
よく見ていると、住宅街の商店街のオーナーは、お年寄りが多いようです。若者は、早朝からせっせと準備に汗を流し、代々伝えられたお豆腐を作って販売するよりも、かっこよく背広を着た会社員になる方を選ぶそうです。

 時代を担う後継者が無く、大きなスーパーマーケットが圧倒的に次から次へ立てられたため、商店街の未来は、明るいものではないようです。

 私自身、外国人の目から見ると、京都を初め、日本の伝統的な町には、商店街は文化的美しさを持つもので、欠かせない存在であると思います。
美しい家並みを形成する京の町屋には、巨大なコンクリートのスーパーマーケットより、商店街の賑わいの方がずっと似合っていると思います。
スーパーでのマニュアル通りの挨拶よりも、商店街での京都弁の方が人々のつながりを強め、お互いの思いやりが心に残ります。
特に遠くから京都に来る観光の人には、商店街の個性が、京都を瑞々しく伝えてくれると思います。
商店街の火が消えることは、京都の火が消えることでもあります。

 今の日本人はお買い物のことを「スーパーに行く」という表現をよく使います。
「市場に行く」という表現を使っているベトナム人から見ると、日本人のお買い物スタイルが大きく変化したのだと痛感します。

 最近、気が付いたことですが、千本通り商店街の中央にあった大きなスーパーマーケットがこの十日間閉まったままです。
最近テレビなどで、デパートがつぶれたという話は良く耳にします。
強い方が勝つという市場競争の原理が通用しない時代になったのは、単に長引く不況のせいだけではないようにあります。資本が大きいから生き残るとは限らないのです。
個性や文化という資本を超えたところに社会が発展する源があるのではないでしょうか。

 「商店街でお買い物をしたい」、そう願う私は、京都の町が大好きです。
街との触れ合い、人との触れ合いを感じる商店街がいつまでも元気であることを強く願っています。


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