「日本での経験を生かすために」
コウ シシ
  日本に留学した時、どのようにすれば順調に生活できるのでしょうか。
よく言うのは「郷に入っては、郷にしたがえ」ということわざです。
簡単に例を挙げてみましょう。
日本に留学しているので、交通ルールはきちんと従わなければなりません。
日本人のように礼儀正しくしなければなりません。
このような基本のルールや常識などは従わなければなりませんが、何でも従わなければならないわけではないと思います。例えば私は日本の女の子のように冬でも短いスカートをはく習慣に従いません。
なぜならば、寒さに弱い私は風邪を引きやすいからです。
日本人のようにお寿司やさしみを食べる習慣に従いません。
なぜならば、生ものに弱い私はげりをするからです。

 どれに従うか、どれに従わないか、自分で自分の都合によって選ぶしかありません。
選択の中に信念というものが不可欠です。
自分の堅い信念があれば周りの環境がどんなに変わっても、変わらず順調に前へ進めます。
日本で一年間の経験で得た「強気」は私の信念です。

 強気と言ったら、祖父の事を思い出しました。祖父は頭が古いので頑固な人です。
今はもうあまりありませんが、20年前の中国のお年寄りは「どんな男でも女よりましだ」という古い考え方を持っていました。祖父もその中の一人です。
ただ私は女だというだけで、生まれてから祖父に差別され続けてきました。
今思い出しても、祖父の顔はいつも曇りがいっぱいで、恐いほど冷たかったです。

 子供の頃、母は私を傷つけないためにいつも「おじいさんの頭が古いから、気にしないで」と慰めてくれましたが、それにこだわっている私はどうしても祖父に「私は男より強い」と見せたいと思っていました。

 小学生の時、私は毎学期優秀学生の賞をもらいました。
もらったばかりの賞はいつも先に祖父に見せます。
自慢の気持ちもありましたが、実はその時本当に祖父から褒められる言葉がほしかったのです。でも、いつものように厳しい祖父の顔には少しの笑顔もありません。
でも私はずっと「きっといつか祖父は褒めてくれる」と堅く信じていました。

 中学校一年生の時、新しい学校に進学してなかなか慣れないうえに、授業も難しくなったので、数学の点数が低かったです。
それを知った祖父は「女はあくまで女、理系はやはり男より弱い」と言いました。
あれは私にとって大きなショックでした。その後、私のほとんどの時間は理系に使いました。
最初の目的はただ一つ−「私は男より弱くない」ということを証明したいからでした。
がんばっているうちに、だんだん理系に興味を持ってきました。
中学校の三年間、私は毎回第一位ではなくても、ずっと上位にいました。

 中学校を卒業して、英語の代わりに私は日本語の勉強を始めました。
家族のみんなは大反対でした。もちろん祖父もその中の一人でした。
祖父に「なぜ」と聞かれた時、私は普段おだやかなのですが、
「自分で選んだから」と叫びました。
本当に失礼だと分かっていましたが、意外に祖父は何も叱る言葉を言いませんでした。
「自分の選択だから、いつまでも後悔せずに強気で続けて前に行きなさい」とため息をつきながら言いました。

 一年前、日本に留学に来るかどうか決める時、家族のみんなは心配していたので、私は行くか行かないかためらって遅々として決められませんでした。
祖父の意見は「自分で決めなさい。決めたら強気で前に向かって行きなさい」という意見でした。

 日本の留学生活の中のいろいろな幸せ、苦しみ、うれしさ、怒りは自分しか理解できません。
授業で勉強したものと実際の生活の中の言葉は大きな差があります。
話し言葉や方言などは日本に来たばかりの私を混乱に陥らせました。
国にいた時の「私は優れている」と思う感じもすっかりなくなってしまいました。
以前のように辛抱強くて強い責任感を持つ先生が私の勉強をしきりに催促することはなくなって、私は生活のために自発的に勉強するようになりました。
なぜならば、ここに来るのは自分の選択だからです。
しっかりして強い気持ちで行かなければなりません。

 一人で留学して、家族を懐かしむのは仕方がないことです。
私は寝る時おとなしくないので、布団を蹴るくせがあります。
特に冬の時、よく寒さのせいで足がつります。
以前家にいた時、足がつるたびに私が大声で叫ぶと父はすぐ助けてくれます。
しかし、今は一人ですから、足がつった痛みで起こされても、だれも助けてくれません。
どんなに痛くても、目に涙を浮かべながら足をこするしかありません。
でもその時でも後悔などしません。
自分の選択だから、強い気持ちで前に行きたいです。

 何か困ったことがあって、あきらめようとするたびに、祖父の話は耳の隣りにひびきます。
「強気で続けて前に行きなさい」その一言とともに今までがんばってきました。
でも、この話を言った祖父はもう今年2月の旧正月の時になくなってしまいました。
家族全員が集まる日である中国の伝統的な祝日の時静かに去りました。家族は留学中の私には全然知らせてくれませんでした。
夏休みに帰国してこのことを聞いた時何も言えませんでした。
頭の中には祖父の冷たい顔と「強気で続けて前に行きなさい」しか残っていません。
まだ見せたいものがあるのに、もう会えません。
祖父の墓の前で「今年大学を受験する。
それに志望学部は工学部だ」と言いました。
女であっても、男の学部と呼ばれる工学部でがんばりたいです。

 ずっと祖父に差別されても、祖父への感謝の気持ちがいっぱいあります。
祖父の差別がなければ、私はこんなに気が強くなれなかったでしょう。
きっと祖父も私を愛していたと思います。
たぶん人によって愛情を表す方法が違うでしょう。
おじいさん、私今まで本当に強気でがんばってきました
。これからもきっと強気で続けて前に向かってがんばっていきます。


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