私の国と日本 着物とチャイナドレス、そして女性 |
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チョウ エイ 張 英 |
私は日本の着物が大好きです。 一人で京都の町を歩いて着物を着ている人を見かけると、いつも無意識に近くまで行って見てしまいます。 とても不思議なことですが、何歳の女性でも、着物を着ている人はみんな綺麗で従順で、大和撫子のように見えます。 わたしは中国のチャイナドレスがとても好きです。 チャイナドレスを着ている女性を見ると、みんなスタイルがよく自信満々に見えます。 着物とチャイナドレス。 中国と日本の女性の最高の礼服として、日中両国の女性に愛されています。 ちょっと見ると2つは似ているように見えますが、しかし、主張しているものは異なっています。 そこにはまったく違った考え方が隠されていると私は思います。 日本の着物は女性のスタイルを隠して、しなやかな女の魅力を見せてくれます。 いくら太った人でも、着物を着るとスタイルの心配もサイズの心配も要りません。 着物は誰でも着れるようにできています。 そして、着る人にとって今日の装いが素敵で、世間からはずれていないという安心感や自信を与えてくれます。 着物を着た女性は控え目でおとなしく、従順で、まさに日本の理想的な女性「京美人」です。 初めて中国に帰国したときの出来事ですが、親戚訪問のためにお土産の入った関空の手提げ袋を持ってタクシーに乗りました。 運転手は私が持っている袋を見て「日本に留学しているのですか」と尋ねました。 私が「ええ」と答えると、その運転手は「女の人が日本に行くなんてかわいそうですね」と言いました。 一瞬聞き間違えたのかと思い「なぜですか」と聞きましたら、「日本の女性は、毎日家事と旦那さんの帰りを待つだけで何事も男の人の言いなりで社会的に地位が低いから、中国の女性が日本へ行ったら、郷にいれば郷に従えで、かわいそうでしょう」と言いました。 なるほど、考えてみれば私も日本に留学する前は同じことを思っていました。 又、中国には恐らく今でもこのように思っている人が少なからずいます。 日本にきて、実際に日本の女性の生活を見てから、私はそれが誤解であることを知りました。 今の日本女性は、江戸時代と違って家庭から外へ出ています。 女性によるボランティア活動や、女性が趣味の活動で習っているもの、各種のそれらの展覧会や、女性のグループ旅行など、日本の女性は社会のあらゆる面で活躍しています。 家の中でも、奥さんが財布の紐を握っている夫婦も多いそうです。 しかし他方、日本では控え目でおとなしいことが女性の美徳とされていますので、女性は公の席では決して自分の意見をストレートに言いません。 その上、意識的に一歩引いています。 このことから「日本社会では女性は男性の言いなりであり、従順で、個性がない」というイメージを植えつけてしまったわけです。 着物とは対照的に中国のチャイナドレスは、女性のスタイルをアピールし、着る人に自信を持たせます。 あまりにも体にピッタリしていますので、スタイルに自信のある女性しか着られません。 従って、着ている女の人はみんな私が一番綺麗だと思っていると顔に書いてあります。 時には、きつくて傲慢でさえあるようにも見えます。 中国では毛沢東主席が「女性は天の半分を支えている」と宣言してから、女性の社会的地位が高くなりました。 しかし文化大革命で、女性を中国語で「鉄姑娘」(日本語で鉄の娘さん)であるようにと言いました。 すなわち、若い女性でも鉄のように強くて、男の人に負けないで仕事をするようにと呼び掛けたので、女性は男性とまったく同等になり、女性らしさ、美しさ、優しさがなくなってしまいました。 その影響で女性は仕事場だけでなく、家庭でも女性であるという自覚がなくなっています。 綺麗さを求めることは、結婚する前の若い女性の特権となり、素直さ、謙虚さということが実際の生活からも消えてしまいました。 改革開放で経済的発展を遂げた中国では、女性らしさが求められ、女性にとってどのようにすれば美しいのか、女性としていかにあるべきかというような議論が行われるようになってきました。 中国の女性もやっと春がきました。 最近、中国では着物を着て結婚の記念写真を撮ることがブームになっています。 中国の女性は「大和撫子」に憧れています。 一方、日本の若者の中でチャイナドレス風のファッションがひそかに流行っています。 ものごとをはっきり言う人が増えてきています。 女性知事や女性議員等の活躍が注目されるようになってきました。 着物とチャイナドレスは、日本と中国の伝統的な民族衣装であり、共に鮮やかで女性に夢を与えてくれます。 21世紀には日本と中国の女性が手を繋いで世界を舞台に活躍する着物とチャイナドレスの姿が見られる日が必ずくると私は固く信じています。 ご清聴、ありがとうございました。 |