日本での経験と将来の私 「あんた達、今日は帰れないよ!」 |
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ファイザ サフィナ |
私は日本に来て、6年目になりました。 今年25歳で、初めて日本に来たときは19歳でした。 まだ右も左もわからずに、いきなり日本での一人暮らしをデビューしました。 4年間京都大学薬学部で勉強して、現在大学院の2年生です。 学部を卒業する前は、私、将来何になろうかなあ?とさんざん悩んでいました。 とにかく薬剤師になりたくないことはわかっていました。 じゃあ、製薬会社ででも働こうかなあ?と決心しましたが、やはり向いていないかもしれないと、ものすごく迷っていました。 とりあえず、研究の実験に夢中になっていたので、1999年の春に修士課程に進学しました。 私は研究が好きですが、気分転換になる国際交流も好きです。 だから、京都にいる間にいろんな活動をやっています。 マレーシア舞踊を踊って、そしてその踊りを日本人に教えたり、マレーシアについての国際講座に話しに行ったり、国際フォーラムに参加したりしました。 それから、マレー語と英語も教えています。 今まで私は小学生、中学生、高校生、大学生、それから一般の人々にまで教えた経験があります。 ある高等学校にマレーシアについての話に行ったときには、私がしゃべっている間に、半分以上の学生が授業の内容に関する興味をまったく示さずに、ぐっすり寝ていたこともありました。 私は驚きませんでした。 大学の授業を受けるときに寝ている学生もいます。 そういうことが当たり前だと思い込みました。 ですが、いくつかの中学校へ授業を教えに行ったときには、それとは違う雰囲気を経験しました。 みんな一生懸命授業を聞いてくれて、質問したいことについてあらかじめメモをしていました。 たまに難しいこと、例えば宗教のことも質問されたことがありました。 現在、週一回ある小学校の2年生と3年生に英語のアルファベットと簡単な自己紹介の仕方を教えています。 今年で2年目になります。 最初の一年間がとても大変でした。 まだ子供だから、厳しく教えていいのかどうかまったくわからなかったので、つい子供達を甘やかしてしまいました。 ある日、興奮しすぎた2人の生徒がいて、わけもわからずに私の頭を強く叩きました。 その時、私はもう我慢できなかったので、「あんた達、今日は帰れないよ!」と怒り出しました。 その2人の生徒は、私が本気じゃないと思っていたので、ただ笑っていました。 ですが、私は2人を本当に家に帰しませんでした。 結局、2人とも自分がやったことに関して反省していたみたいなので「帰ってもいいよ」と許しました。 ちゃんと謝ってくれていたのはいいのですが、生徒を泣かしたのは私にとって辛かったです。 その子達の両親が「何で私達の可愛い娘にあんなことやったんですか?」と私に文句を言いに来るかな、と心配で心配でたまらなくて、かなり落ち込みました。 それで、知り合いの校長先生に相談にのってもらいました。 校長先生は「あなたがやったことは間違っていないよ」と言いました。 次の週、自分に「絶対大丈夫だよ!」と言いきかせて、何ごともなかったかのように普通に授業を行いました。 結局、最後まですべてがうまく行きました。 しかも、子供達は授業中ずっと集中していました。 あまりやさしくしすぎてもだめで、ある程度子供達にきちんとしつけをしなければならないとわかりました。 くびになると覚悟しましたが、次の学期にまた採用してくれました。 新学期が始まった頃に、2年生の女の子からこの手紙をもらいました。 手紙の内容は、 「ファイザーティーチャー、これからえいごをおしえてくれるおんなのせんせいでうれしいです。これからよろしくおねがいします。大のさやより」 と書いてあります。 この子が私に手紙を渡した時、私はすでに感動していました。 こんな可愛い手紙をもらったことがなかったから、とてもうれしかったです。 ますますこの仕事のことが好きになりました。 もしかして、私は先生の仕事に向いているのだろうか、と真剣に考えました。 思い切って、自分の研究と関係がある大学の先生の仕事に応募しました。 運よく、来年の5月からマレーシアにあるマラヤ大学に講師として所属することになりました。 大学教授になれるのはまだまだ先ですが、今までの私の経験を参考にして頑張りたいと思います。 ただ、私が一番心配なのはマレーシアに帰国すると日本語を忘れてしまうかもしれない、ということです。 偶然、すごい情報を手に入れました。 毎年、京都府が名誉友好大使を募集しているというのです。 私も応募してみました。 今まで、私がやってきた大好きな国際交流活動が評価されて、今年の6月から平成12年の名誉友好大使として任命されました。 これで、どこへ行っても、いつまでも京都との関係を続けることができます。 そのうえ、日本語を使える可能性も高いでしょう。 私は日本にいる間にいろいろな思い出や経験ができました。 うれしくて幸せな時もあり、悲しくて涙がボロボロ出る時もあり、すごく寂しくて国に帰りたくなる時もあります。 「人生ってそんなに甘くはないね」という台詞を何回かテレビのドラマで聞いたことがありますが、まさにそのとおりです。 頑張っても、成功しない時があっても、あきらめなかったら自分の努力の成果が見えてくるだろうとわかってきました。 大げさかもしれませんが、日本は私のことを育ててくれました。 最後に、この場を借りて、日本、それからお世話になっている日本人のみなさん、ありがとうございます。 以上です。 |