日本での経験と将来の私
「茶道文化のすばらしさについて」
チョウ ケンリュウ
張 建立
  皆さん、こんにちは。
張 建立と申します。
中国天津市からまいりました。
茶道裏千家千宗室御家元様のご厚意により、1996年4月から今年4月まで裏千家学園茶道専門学校で4年間の茶道修行をしてまいりました。
現在立命館大学大学院博士課程に進学して、中世から近世にかけての日本における茶文化史を研究しております。

 今回の日本語弁論大会に参加させていただきまして、日本での経験と将来の私というテーマを選ぶことにいたしました。
日本での経験といいますと、やはり何よりも茶道修行の経験は私にとっては一番の宝物です。
だから、本日は茶道文化のすばらしさという演題で4年間の茶道修行によって体得した茶道文化のすばらしさを少しでもお話ししてみたいと思います。

 日本人の生活文化を考える上で、茶道文化はとても重要です。
ご存じのようにお茶と喫茶の習俗はもともと平安時代、鎌倉時代の日本人留学僧などによって中国から日本に招来されたものです。
そして、千利休居士をはじめ、多くの茶人の努力によって日本の風土に相応しい茶道文化が大成されました。
しかも現代まで脈々受け継がれ、外国人が日本文化に接する時、また日本人が外国人に日本文化を紹介するとき、必ずといって良いほど茶道文化が取り上げられます。

 日本での伝統文化はここ百五十年ほどの間に二度の危機を迎えました。
最初は明治の近代化の時で、その次は第二次大戦の敗戦による日本の伝統を否定する嵐の時期でした。
この二度の危機を乗り越えて今日まで脈々と受け継がれ、日本人だけではなく、世界の人々の関心をも引くようになった伝統文化は茶道だけといえましょう。

 普通は一定の作法によってただお茶を飲むとか、あるいは手先の点前とかが、お茶だというように考えられている向きもありますが、しかし茶道をよく考察してみますと、その内容は非常に広範なものです。
日常生活の掃除とか食事とかいうような、ごく普通の、何でもない日常些事といわれるような事柄から、人間生活としては一番深い高いものであるといっても良い、いわば非日常的な宗教というようなものにいたるまで、全体を包括しております。
だから、芸術の方面もありますし、道徳の方面もあります。
そしてそういうものが一つの文化体系をなしています。
このような豊かな内容をもっている茶道文化を勉強していくうちに次のようなことに気付きました。
即ち、人間が社会の一員として生きていく文化のマナーとして茶道が一番良い。
茶道は人間たる道理などをわかりにくい論理的な言葉ではなく、身体の動き即ちお茶の点前作法を通じて暗黙に教えてくれます。
日本茶道のすばらしさといえば、これが一番だろうと思います。

 昔、中国人にとっては、理想の人間像は知書達礼(ちしょたつれい)即ち書を織る、礼に達している人間です。
ここでいう書とは主に『論語(ろんご)』『孟子(もうし)』『大学(だいがく)』『中庸(ちゅうよう)』という四書と『詩経』・『書経』・『礼記』・『易経』・『春秋(しゅんじゅう)』という五経を指して言います。
言い換えれば、人を教養のある人間に育てるために、昔の中国で採った教育法は右の儒教教典を教え込むことでした。
子供は五、六才から譬え文字の意味がわからなくても、とにかく右の教典を暗記してもらう、これはかつての最高の教育法と考えられました。
もちろん、それはそれで優れたところがあります。
しかし一方、結局、漢字そのものを書くことも読むこともできますが、その漢字の伝えようとしている意味はなかなか簡単に理解されてないし、実践にも付しがたいのが事実です。

 例えば、『論語』の中に「洒掃応対進退(さいそうおうたいしんたい)」という言葉があります。
洒掃とは水をまいたりして掃除すること、応対とは賓客に対してうけこたえをすること、進退は進んだり退いたりする作法をいいます。
儒教ではそれを人間としての基本と定めております。
極簡単のように思われますが、しかし日常生活のなかでこれをしっかりとできた人は果たしてどれぐらいいるでしょうか。

 実は、日本茶道の点前作法はまさにこの洒掃応対進退という六文字をそれぞれ型で具体的に表したものです。
「洒掃」はまた和・敬・清・寂の清の精神の表現でもあります。
茶道では実際に水をまいたりして掃除をするだけではなく、お茶を点てる過程でいろいろな清めの所作もいたるところに見受けされます。
例えば、袱紗捌きとか、茶勺、茶碗の清め方などが挙げられます。
だから、別に言葉としての洒掃の意味などを教わらなくとも、お茶の修行に精進していくうちに、自ずと頭だけではなく、全身全霊で洒掃の意味がわかるようになります。

 茶道における「応対」とは即ち茶室内における主客の会話のことです。
茶席における会話について、「我佛 隣の宝 聟舅 天下の軍 人の善悪(わがほとけ となりのたから むこしゅうと てんかのいくさ ひとのよしあし)」というような内容の会話はだめです。
言葉は心の声といわれるように、その場その時に適った会話は実際なかなか難しいものです。
文化としての日本語を身につけるため、日本語のテキストよりお茶の稽古をしたほうがよいと思います。

 また、茶道でいう進退とは即ち一期一会の茶会における終始の身体の立ち振る舞いのことです。
これもなかなか難しいことです。
お茶では主客はお互いの立ち振る舞いを目で見るより、むしろ耳で察知する場合がより多いです。
つまり、主客の動きから出た音がとても大事なことです。
襖の開けしめの音、すり足で行き来の音、点前中、亭主の茶器を扱う音、客がお茶を頂く音などによって、お互いに自他の一挙手一投足を察知することができるだけでなく、その響きから主客の品格とお互いの気持ちまでも察知することもできます。

 人間生活の基本としての「洒掃応対進退」はとても大事なことであると『論語』が教えてくれましたが、しかし具体的な作法を教えてくれませんでした。
具体的にわかりやすく教えて頂けるのは茶道なんです。
茶道は眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんに)という佛教でいう六根(ろっこん)の修練を極める手法ともいえましょう。
茶道のすばらしさはまだたくさんありますが、今日は右の例だけを挙げることにいたします。

 最後に将来の私ということになりますが、博士号を取得したあと、帰国し、中国人がより豊かな、優雅な日常生活を営むことに役立つ為、一人でも多くの人々の茶道文化のすばらしさを紹介し、体験していただきたい。
この夢を実現する為に、これからも一生懸命に精進してまいりたいと思っております。
たいへん勉強不足なので、どうか末永くご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 私の話は以上です。
ご清聴ありがとうございました。

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