これからの京都 「再び京都に訪れた時は・・・」 |
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ハク ウン 白 雲 |
日々を数えれば、私は京都に来てから1ヶ月経ちました。 落ち着いた雰囲気に包まれてゆったりとした学習生活を送ることの出来る京都が私は好きです。 思い出せば、私が京都で勉強したいということを両親にうち明けたとき、両親は少々とまどっていました。 「え?なんで京都なの。 あそこお寺と神社しか見るところはないでしょう。 京都のことを知りたいなら、テレビや雑誌でも見れば、わざわざそこへ留学に行く必要がないんじゃない。 どうせ日本に行くんだったら東京や大阪へ行きなさいよ。 」と母は反対しました。 日本の京都は文化と歴史の中心であり、国際観光都市であることは中国でもよく知られています。 しかし文化の詳しい内容についてはあまり知られていません。 テレビや雑誌ではお寺の写真だけがよく目に映るからです。 京都の本当の姿をこの目で見るために私は京都にやってきました。 京都に着いた日に、偶然西本願寺の補修工事をやっているところを見ました。 その工事をしている40代ぐらいのおじさんに話をすると、彼は子供の髪をさわるようにレンガを撫でて「これは私たち京都の宝だよ。 」と言いました。 私はこの言葉で京都人の誇りのようなものを感じ、更に感動しました。 お寺にも神社にも貴重な命があることは京都に来なければとても味わえないことだ、と分かりました。 そのおじさんの一言を聞いて、「私は京都に来てよかった」と思わずにはいられませんでした。 さらにこの1ヶ月の体験で「京都がこうだったらもっといいのになあ」と思うところもありました。 一つは、京都の人が外国語をしてほしいということです。 毎日世界各地から京都に訪れた観光客が大勢います。 私は街で道が分からなくて困った顔をしている2人の欧米人を見かけました。 ほとんどの人は彼らの傍を通るとわざと避けました。 日本人はよく「僕は日本語しか話せないので、外国人に対してどうも苦手です」と言いますが、勇気を出して、先に声をかけたらいかがですか。 自分の外国語に自信がなくても大丈夫ですが、積極的に外国人と話をすれば、そのうち上手になるのではないでしょうか。 少しでも外国語が話せる地元の人がいれば、日本語が話せない外国人にとっては大変ありがたいことです。 去年私は中国の観光地紹興に行きました。 博物館に行ったら、受付のところで大学生がボランティアとして案内と通訳をやっていました。 一緒に行った友人の中に日本人がいて、学生さんは大喜びで、上手とは言えないけど、日本語で一生懸命説明してくれました。 日本人の友人もいろいろな話を聞くことができ、大変うれしかったと言いました。 さらに上海市政府は「一人の上海人が100句以上の外国語を話せるために頑張りましょう」と市民に呼びかけたそうです。 京都も上海も国際観光都市ですから、上海に負けないで、京都の人も外国語の話せる国際的な人間になっていただきたいと期待しています。 二つ目は、京都の学生に「若くて活力ある文化」を作ってほしいと思います。 京都の学生が積極的に行事、お祭り、イベントに参加することは京都に元気を与えてくれました。 しかし京都が「若くて活力ある文化」を醸成させるにはお祭りを行うだけでは足りないような気がします。 京都にとても似ている中国の北京は政治、歴史、文化の町でありながらも学生の町だと言われています。 北京のコンピューターの最先端の町「中関村」は中国の若者の注目の的、夢のあるところと見なしています。 当初の「中関村」は4、5人の若者がコンピューターの部品、資料などが早く手に入るように専門店を開いたことから始まりました。 そのうち大勢の学生がそこで自分の会社を作り出し、さらに世界各国のハイテク企業もどんどん「中関村」に入り、最初数軒の店だったこの地域はそれからものすごいスピードで拡大し、今や中国で一番大きなコンピューター街となりました。 この「中関村」は北京に優秀な人材を集め、巨大な経済の利益そして新しい情報文化をもたらしたのです。 これからの京都はいつまでも祖先の残してくれたものだけを世界の人々に見せるわけにはいけないと思います。 「若くて活力ある文化」を作らなければ、京都はいつか文化の乏しいところになってしまうかもしれません。 新しいものへの発見、国際間での頻繁な交流によって、これからの京都はもっとすばらしい成果を収めることができるでしょう。 私が将来再び京都を訪れた時は、街の人たちが外国語で案内してくれて、「若くて活力ある文化」が溶け合った新しい京都を歩いてみたいと望んでいます。 |