日本での経験と将来の私
「国境を越えて、世紀を超えて」
タイ キナ
太 喜娜
 私は中国人の留学生です。
3年前に国境を越えて、そしてまもなく世紀を越えようとしている私は、これまでの日本留学の経験を通して、皆さんと一緒に21世紀のことを考えてみたいと思います。

 話はまず私の経験から進めたいです。
3年前、私は中国から来日した時は18歳でした。
日本の感覚からいいますと、その時私はまだ子供でした。
去年の1月15日、私は日本人の友達の祝福を受けて、きれいな和服姿で成人式を迎え、「大人」となりました。
しかし私は大人の立場に立って物事を考えることができるようになったのは今年に入ってからのことです。

 私は両親の反対を押し切って奨学金付きの中国の大学の入学機会を放棄し、日本に留学にやってきたのです。
中学校と高等学校で6年間日本語を第1外国語として勉強してきた私にとって、日本留学は夢でした。
来日後、私は京都関西語言学院を卒業し、推薦入学で立命館大学に入学して、好きな経営学会計コースの勉強に励みました。
はじめの2年間は本当に順風満帆でした。
しかし去年の年末に、私は思いも寄らない危機に見舞われました。
東南アジアの金融危機の影響を受けて、父が経営した店は不振に陥り、その上、会社に勤めている母が病気で倒れました。
その結果、2年間続いた両親からの仕送りが途絶えてしまいました。
その後に分かったことですが、両親は私の学費と生活費を捻出するために一生懸命働いていました。
親戚からその話を聞いて、私はじんと来て涙が止まりませんでした。
もし当初、私は両親のアドバイスを受け入れて中国の大学で勉強したらこんなことにならないのに、と何度も後悔しました。
しかし世の中には後悔の薬はありません。
私は留学を続けるか、帰国するかという厳しい選択に迫られました。
その時、ある留学生の大先輩は「帰国するな。
あなたの両親にはあなたの帰国よりつらいことはないからだ。
」と厳しく注意してくれました。
両親のことを考えて、私はとにかく頑張ってみようと決めました。
私は生活費を最大限に節約すると同時に、アルバイトをして生活費を補うことにしました。
アルバイトをしながらの勉強生活は決して安易なことではありません。
学校の先生、留学生の先輩及び日本人の友達の暖かい励ましを受けて、私はアルバイトと勉強のバランスをとりながら頑張ってきました。
今年の10月母親が退院し、父親の店の経営も徐々に回復しました。
10ヶ月の危機を乗り越えた私は、振り返ってみると本当に誇りを感じます。
この10ヶ月の間に、私は大分苦労を体験しましたが、勉強はちっとも影響を受けませんでした。
今年の6月、私は日本人の学生に交じって日本全国簿記大会に参加し、京都地区の簿記2級の第1名という成績で優勝しました。
これはうれしい結果ではありますが、私を喜ばせたのは結果ではなくて、その経過です。
大学では簿記の勉強は正規なカリキュラムに組み込まれていないため、勉強したければ別途に5万円の学費が必要になります。
5万円が出せない私は、独学で簿記の勉強にチャレンジして遂に成功したのです。
一度成功の喜びを味わった私はさらに自信があって、簿記1級の独学に励みました。

 日本語には「可愛い子には旅をさせよ」という諺があります。
一度ささやかな危機を経験した私は、その深いニュアンスが分かるようになりました。
私の両親がなぜ私の留学を反対したのか、そして、なぜ後に賛成してくれたのかについて、今になって私はやっと分かるようになりました。
「人生は危機に見舞われて、初めて輝くようになる。
」誰がこの話をしたかは忘れましたが、この話及びこの話に含まれている深い哲理を私は永遠に忘れはしません。

 時代はまもなく21世紀に突入しようとしています。
一度危機にさらされた私は、できるだけ問題点を多く予測した上で、21世紀のことを真剣に考えてみたいです。
地球の温暖化や、環境汚染などによる人間生活環境の破壊、そして自然資源の枯渇や食糧の危機、さらに国際的な差別や収奪、貧困、国家や地域間の利害対立、戦争、核兵器の脅威など、人類は様々な問題を未解決のまま21世紀に突入しようとしているのではありませんか。
そしてまた、21世紀は国際化の時代に違いないが、いい面での国際化の実現はまだまだ時間がかかりそうだが、人身売買や麻薬犯罪やエイズの蔓延など悪い意味での「国際化」はかなり進んでいるのではありませんか。
これらの問題は先進国にしろ、発展途上国にしろ、一国の力だけでは解決できないのです。
世界中の人々が国際的な協力と交流を強め、力を合わせて世界的な危機を乗り越えることは唯一の選択ではありませんか。

 私は来る21世紀はきっと輝かしい時代だと信じながら、人類が直面している世界的な危機を充分意識した上で、今後の勉強を続けていきたいと思います。
卒業後、私は教育関係の仕事に携わりながら、国際交流活動を通して人類の危機と戦おうと心の中で決めました。


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