今年のできごとと私

リュウ ギンコー
劉   吟衡  


 人生には色々な出来事があります。結婚することや出世することは楽しい事です。誰でも求めています。しかし,誰でも遭いたくない事もあります。親しい人と別れたり,親しい人に亡くなれたりするような悲しい事です。
人生には,夢もあり,悔しさもあり,涙もあります。人生の道をどのように歩んでいくのでしょうか。
チャンスがありましたら、是非皆様のご考えを聞かせて頂けましたら幸いです。
今年4月に私の人生を変えるような出来事が起きました。そこで,この出来事を通じて,人生の生き方について考えさせられたことを述べたいと思います。

 桜満開の4月でした,私は長年の夢がかなえまして,日本の大学院に入りました。しかし,喜ぶ暇もなく,すぐその後,同じく4月,私は生活の宝を失ないました。私が日本のお母さんと呼んでいる人が亡くなりました。
日本での生活は,お母さんが支えです。
春の花,秋の風,冬の雪はいつも郷里の今はどうでしょうと私を思わずにはいられなくさせます。
中国の東北大地が恋しくて,お正月,鐘の音を涙をすすりながら聞き,中秋の名月を目に涙をためて眺めていました。
そんな時に,いつもお母さんが御馳走を作ってくれたり、遊びに連れて行ってくれたりして,自分が本当に両親と一緒にいるように感じました。
いつ迄もお母さんが一緒にいてくれると思いました。
今迄,お母さんの励ましがあったから、努力に努力を重ねて来ました。
お母さんが一緒に喜んでくれると思ったから,大学院に入りました。
今,これからは何の意味があるでしょうか。これからどうすればいいでしょうか。

 日本のお母さんとお父さんはお子さんがなく,私を本当の子供のように可愛がって色々と世話をして下さいました。
4月10日の大学院の入学式に来てくれると約束して下さいましたが,その日を待てず,お母さんは病状が悪化し再入院しました。
お母さんが無事に退院できるようにと毎日私は祈りましたが,お母さんは再び家に帰ることはありませんでした。
4月23日、亡くなりました。

 25日,お葬式の日です。朝7時頃,最後の別れの時が来ました。「ここでお別れですので,皆さん,どうぞお花を入れて下さい。」と言われて,お父さんを始め,私も黄菊と白菊をお母さんの回りに置きました。
お母さんはきれいにお化粧をされて微笑んでいるようです。棺に蓋がかけられて,お父さんは釘を一つ一つ2回ずつ叩き、他の人々も皆相次いで叩きました。お母さんは去って行きました。確かに私の傍に返ることはもうないです。
明日という日は,未だあるのでしょうか。
お父さんの後姿を見ている私は、涙が止まりませんでした。大柄なお父さんですが,その時は弱々しく見えました。
一生を伴にしたお母さんと別れなければならないお父さんは,肩を振わせていました。
明日も日が昇ります。お父さんの為に朝ごはんを作ってくれる人はいなくなっても。
生きている人は生き続けなければならないと私は気付きました。
「お父さん,泣かないで,泣かないで,私がお父さんと仲良くして,世話をしてあげますから」
と心の中で呼んでいました。
10時半頃,お母さんのお骨は帰って来ました。
花輪に囲まれた庭を見ているお父さんは「ボー」としていました。
いつもはこの庭で,私はお母さんと一緒にお花に水をやっていました。その時,何も手をかけていなかったせいか,まるでいっしょに悲しんでいるかのようにお花もちょっとしおれていました。

 お母さんが普段生き生き働いたり話したり笑ったりした家で,お通夜とお葬式をするのは,私にとってあまりにもつらく思いました。
しかし,日本人は死んだ人は自分の家から出るのが幸せだと聞いています。

 私はこれからがんばってお母さんをもっと幸せにさせようと思いましたが,それも間に合わなかったようです。
お母さんは永遠に私達と離れていったと私は悲しんでいました。
「お母さんは死ぬのではなく,四十九日たったら仏様になるのよ」と親しい方が言って下さいました。「そうですか。お母さんは仏様になるのですか。」と慰められました。
悲しみばかりを思うのではなく,七日ごとに死んだ人が仏の世界に入っていくことなのだと教えられました。なるほどと思いました。

 生きることは,現実の世界で目に見える形だけではないようです。
心の中で目に見えない意識という形でも人間が生きています。
お母さんがいつも応援してくれたのは、私に困難を乗りこえる力を身につけさせたかった為で,成功に喜んでくれたことは,人生の喜びを教えてくれたかった為だと,今やっと分かりました。
お母さんは亡くなりましたが,しかし,その力,その喜びはお母さんと一緒に私の心の中で生き続けています。

 悲しい私は,決して落ち込んではいけません。
最後迄,お母さんは私の事が心配で,「がんばってね」と励まして下さいました。
元気を出して,がんばることこそが,お母さんへの恩返しだと思うようになりました。
人生には,幸せがあります。その為に,人々は全力を尽くして,追い求めています。
しかし、人生,決してそれだけが全てではありません。
悲しみも避けることはできません。
満開のも桜ですが,舞い落ちているのも桜です。
幸せに酔うことなく,
悲しみに落ち込むこともなく,
美しい思い出と生活への感謝を胸に刻んで,
いつ迄も前向きに進むことこそ人生だと思います。

 お母さん!
お母さんの生活していた地上で私も生活しています。
仏様になって,お父さんと私を見守って下さい。
お父さん,がんばりましょう。
楽しく幸せに生活ができまように。


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