リ ヒョンズ
李 R珠
私は22歳の若者です。自分の未来、やりたい事については沢山悩んだりしますが、自分が年をとり老人になったときの事を想像した事が有りませんでした。
それに現在の老人にも関心を持たず、’老人’にはあまり肯定的なイメージは持っていませんでした。
だが、今年の春から秋にかけて私に起きた小さな 出来事が私の考え方を変えました。
まず、その出来事から紹介します。
初夏のことです。蛍を見るため夕暮れに’哲学の道’を歩いた私はある小さな家の庭に咲いている’あじさい’を見つけ、時間の経つのも忘れて見とれていました。
その時、家の中から一人のおじいさんが出て来て庭の花や木に水をやり始めました。
80歳ぐらいのおじいさんは塀の外で見ている私に気がつき、
”このあじさいが気にいったのかい”
と言いながら一番奇麗な大きいあじさいを切って私にくれました,その時の幸せだった気持ちは今も忘れられません。
次の出発事は真夏の鳥取での話です。海を見るために人気のないところまで行ってしまった私と友達は駅に帰る交通手段が無くて足止めをくらってしまいました。
隣の空き地でゲートボールをしていたおじいさんが私たちの事情をきいて、わざわざバス停まで車で送ってくれました。
そして秋、京都の時代祭りでカメラを持ってこなかったことを惜しむ私に、ポラロイドカメラを持っていたおじいさんが写真を撮ってくれると言い、撮ってもらいました。
おじいさんは、写真を渡しながら
”人の喜ぶ姿を見るのが楽しくてね”
と 微笑んでいました。
以上で私が言った人たちは皆おじいさん,老人です。
今まで私か無関心だった人達です。
私にとって電車やバスでの老人は席を譲らなければならない存在、狭い道では遅い歩きで通行を妨げる存在、つまり邪魔にしかならなかったのです。
それに韓国人の私には、日本人の老人世代は韓国植民地時代、’天皇陛下万歳’を叫びながら軍人として占領してきた人達のイメージが強くて、とても距離感が有り、感情的に近くなれなかったのです。
だが、上の出来事のような、小さいけれどとても暖かい事を経験していくうちに、見えない壁を作っていた私の冷たい心にも老人、そして日本人の暖かさが伝わってきたのです。
私は今まで偏狭な先入観で 人々を一般化して見ていましたが、各個人と接するにつれて自分の考えがどれくらい狭い人間だったのかが分かってきました。
世界は社会が現在高齢化に進んでいると心配しています。
これはおそらく経済的な生産性や社会福祉の部分だけを見て心配している様ですが我々はもっと大きい何かを忘れているのではないでしょうか。
人間としての暖かさや心のゆとり、人生の経験を持っている老人達は、私が数ヶ月、若い人達と付き合っても得られなかった深い感動を与えてくれたのてす。
私が年をとりおばあさんになったら、日本のおじいさんからもらった暖かさを私の次の世代の韓国や日本はもちろん、アジア、そして世界の若い人々に捧げたいと思います。
[98年の弁論大会の目次に戻る] |
[99年の弁論大会に戻る] |
[トップページに戻る] |