今年の出来事と私

チン ケンコー
陳  慶紅  

こんにちは、私は陳慶紅と申します。中国河南省開封市で生まれ、願いかなって、昨年来日することができました。私がやって来た記念すべき日は決して忘れることができません。誰もが体験できることではないからです。
私は台風九号の暴風雨と共にやって来ました。まさしく強風に乗って、この日本で留学生生活を始めることができたからです。これは、私だけのエピソードです。

 日本に来る前、私の日本や日本人に対するイメージは、「日本は人情の薄い国」とか、「日本人とは友達になりにくい」という、マイナスの先入観が頭を支配していました。

 ところが、今年、二度のホームステイの経験で、その偏見はあっけなく飛び去ってしまいました。普通の日本人の家に入って、普通の日本人の生活が体験でき、楽しい日々でした。それに、日本の社会、日本の家庭、日本の心をも、より深くわかるようになりました。

 ひとつ目は、昨年十二月三十日、アルバイト先の同僚たちに、「よいお年を」とねぎらいの言葉を交わして、寒い学生寮に帰りつきました。
日本人の学生は皆家族団欒のお正月を迎えるため帰省してしまっているし、寮母さんさえも実家にお正月の支度をするために帰ってしまわれました。
建物の中に誰ひとりいない空気ほど冷たいものはありません。部屋を見まわしても冷たいです。何もかもがせつないです。暖かい中国の家を思い出すと、もの寂しさも手伝って、泣き出したくなりました。

 そんなとき、突然電話が鳴りました。『陳さん、日本のお正月を体験したくないの?私の家に来て一緒にお正月を迎えましょうか。』と先生が誘ってくださいました。
先生の暖かくて親切なお言葉に、私は『はい』のひとつ返事で遠慮なく受けることにしました。
 先生のご家族と一緒にご実家に行くことになりました。そこでは、家族の一員として暖かく迎えてくださいました。
新年を気持ちよく迎えるために、玄関や居間に生け花を飾ったり、お餅つきをしたりしました。
奥さんがおせち料理をつくるのに忙しくされて、料理に苦手の私も中華肉饅をつくりました。
心をこめてつくってみましたが、味はまったく自信がありません。
心の中の私は言います。たぶん『まずい』。
しかし、この肉饅をおいしそうに食べてくださいました。
ご家族のみなさんと「紅白歌合戦」を見ながら、新年の鐘を待っていました。まるで我が家でくつろいでいるかのようにすごしました。

 年が明けて、大江町にある元伊勢神宮へ初詣に行きました。
今年、私は厄年ということを聞いて、今は何事もないように、守ってくれますようにと、祈りをささげました。
気持ちを新たに楽しく迎えることができました。

 ふたつ目は、この夏休み期間中に、京都府国際センター主催の
「留学生、日本青少年ツアー」という活動に参加しました。
京都府の南に位置する井手町で、ごく普通の、全然面識のない家庭で、私は三日間ホームステイを味わうことができました。
やさしい両親とかわいい娘さん二人、息子さん一人の五人家族でした。
私は、六番目の家族として迎えられました。
両親は本当の娘のようにかわいがって、娘さんや息子さんからは、一番上のお姉さんのように接して、大事にしてくださいました。
三日間の生活を終えて、別れる時、中国にいる私の両親、妹と同じ目で見送ってくださいました。

 今もよく手紙を書いたり、電話をかけたりして、お互いの状況を連絡し合ったりしています。私が大学院の試験に合格したとき、合格祝いのプレゼントを贈ってきてくださいました。
今では、私はもうひとりぼっちではなく、心を通わせられるたくさんの友に恵まれ、ここでの私は幸せ者のひとりと感じています。
 今年一年を振りかえってみて、来日する前、頭に描いていた「情の薄い国=ニッポン」はすでにありません。最初に述べたエピソードの台風のように去ってしまって、空一面青いキャンパスが広がり、すべてのものが輝いているような気持ちでもあります。

 来年四月からは、神戸商科大学大学院経済科に進学しますが、これから研究に励めるのも、今まで接していただいた皆さんの温い心と声援に励まされてきたからこそだと信じています。
一般的な家庭の雰囲気を知ることで、そして語り合うことで、お互いの『心の内にあるオアシス』を分かち合う、わかりあえることは、大切な宝物ではないでしょうか。
私はそれを胸に歩んで行きたい。
皆さまのご清聴を感謝したします。どうもありがとうございました。

一九九八年十月十八日
成美寮にて.


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