私がみた日本の青少年

リー レイケン
李 玲娟

 私は昨年4月、中国の蘇州から就学生として日本に来ました。日本の色々な社会現象を見つめながら、今、さまざまな思いをめぐらしています。

 社会が流行をつくり出すのか。流行が社会を変えていくのか。これにかかわる主人公は私と同世代の若者なのだろうかと。

 日本の来て、初めて、京都の繁華街を歩きました。四条通りや河原町通りを歩きながら私は目を見はりました。
私が中国で想像していた日本の若者のイメージは変わってしまいました。
男の若者が髪の毛を茶色ばかりでなく色とりどりに染めて、耳にピアスをつけていたのです。
男のピアスは当たり前のようです。耳だけではありません、鼻や唇にまでに穴をあけてピアスをつけています。
これが若者の現代のファッションでしょうか。とにかく若い人は流行を追いかけ、流行に遅れたくないと仲間どうしが競い合っているように思えます。

 日本古来の「緑の黒髪」を文字通り緑に染めている人に出会った時はその異様さに圧倒されました。
日本で権威のある「広辞苑」には、もう「茶髪」ということばが載るようになったそうです。
黒髪を金色に染めるのはヨーロッパ人に憧れる西洋志向の風潮なのでしょうか、それとも芸能人やタレントの真似でしょうか。

 私が不思議に思うのは学校や親たちはこのような行為にも平気でいることです。髪を染めることが悪いというのではありませんが、決して個性的だとは思いません。
どうして人真似ばかりし、同じような格好をしたがるのでしょう。

 自己顕示は若者の特権かもしれまんせが、自己主張をここまでしなくてもと思いました。
却って流行に溺れ、主体性を見失っているような気がします。
私は初めてピアスや茶髪を見た時、まぶしさを感じる以上に奇異なものを感じ、こういう日本の若者たちがいることに驚きました。
日本人はやはり黒髪でなければ似合わないと思います。

 また、ある日学校からの帰り道でのことです。「もしもし、もしもし・・・」私は誰かに呼び止められたような気がしてふり返りました。
少しうしろに若い男の人が歩いて来ます。
私は「ああ、なんだ・・・」すぐ気がつきました。耳に携帯電話を当てて話しているのです。

 道を歩きながらでも、電車の中でも、ひとの迷惑などおかまいなしに夢中で話しています。
若い人の間でも大変な人気で一種のファッションとして、どんどん利用者がふえてきました。
今まで電車の中は静かに新聞や週刊誌を見ているか、居眠りしている人が多かったのに、「電車やバスの中の様子もずいぶん変わったね」と日本の友だちは言っていました。
みんなが携帯電話を持って自由にしゃべり出したらどんなに騒々しくなるでしょう。

 留学生の私には携帯電話はうらやましいというより、ぜいたく品に思われます。
話していることはデートの約束ならまだいい方で「今、何してる」、「今、バスに乗った、あと20分で行ける」などほとんどたわいもないことばかり。
文明の利器をこんなことに使うなんて、便利なおもちゃとして若者の必需品になったような気がします。

 私の国では携帯電話は簡単に買えません。サラリーマンの一年分の給料に相当しますから、一般家庭ではなかなか持つことはできないのです。
深刻な経済不況なのに、若者たちのファッションや流行は大変高価なものになってきました。
国家の将来を担う青少年たちの中に、ファッションに気を奪われ、ファッションに大金を浪費している者がいる現状には、将来への危機さえ感じます。
21世紀は若者たちの世紀です、その世紀の繁栄のためには若者は重要な役割を果たさなければなりません。

 私は日本の戦後の復興の早さと、経済の繁栄は素晴らしいと思います。
そこには日本の国民の勤勉さと国民の偉大なエネルギーを感じるのです。
しかし、今、日本の青少年の様子を眺めて、国民の勤勉さに対する印象が次第にうすくなっていくのを淋しく思います。

 私たちと同世代の若者が流行という強い波に押し流されていてはいけないと思います。
私自身弱い人間ですが、日本の青少年も強くたくましく自分自身を見つめ直し、一人一人が国家を支える柱であることをよく認識しなければならないと思います。


[スピーチa][スピーチb][スピーチc][スピーチd][スピーチe][スピーチf]
[スピーチg][スピーチh][スピーチi][スピーチj][スピーチk][スピーチl] 

 

[98年の弁論大会の目次戻る]
[99年の弁論大会戻る]
[トップページに戻る]