日本の香りがある京都を
チョウ セイラン
 張  青蘭
  京都と言えばあなたはどんなイメージを思い浮かべますか?
着物姿の舞子さん、お寺、神社・・・江戸時代の小説家滝沢馬琴は作品の中で「京によき物三つ、京女、鴨川の水、寺社」と書いています。
 異国の私にとっての京女は、初め文化的な神話に過ぎないものでした。
それが京都に住んで京都の女性に接し、その美しい言葉使いやさりげない振る舞いに心酔させられるにつれて、京女についてだんだん整理できるようになってきました。
京都に生まれ育った女性であって京都弁を話す女性であるということだけで京女を定義するのは十分ではないと思います。
ある女が自分の心の中で自分が京都と社会的、文化的、歴史的、心理的などの繋がりを持っているならば彼女こそ京女ではないかと思っています。
つまり生きている文化を感じさせてくれるのが、京女の魅力だと思います。
私の国中国では、女性が「天の半分」を支える存在とされ、女性は男性とともに社会に進出し、仕事をこなす姿が体表的であります。
そんな文化に比べて独特の柔軟さを見せる京女の姿は、京文化の奥の深さ、幅の広さを感じさせてくれます。
京女は京都文化そのものの見なしと言っても過言ではないでしょう。
 日本に来て一年ぐらい京都に住んでみて、京都が好きになりました。
京都の町並みや独特の雰囲気はなぜかとても落ち着きます。
京都を好きな人はとてもたくさんいると思います。
京都は日本人だけのものではなくて、京都が好きな全世界の人のものです。
だから私は世界各国から、京都に住みたい人を募集すればいいなあと思います。
 私は休みの時によく祇園四条と四条河原町をぶらぶらしています。
 二十一世紀のある日、世の中がどんなに変わっても京都は現在のように愛される京都であって欲しいなあと思いながら、私は人混みの四条大橋を渡って八坂神社の方に向かって歩いて行きます。
祇園商店街の両側には、着物の試着や写真撮影の出来るコーナーが設けられていて、若者がずらりと列を並んでいます。
ほかのところでは見られない光景です。
若者の間で着物への関心が薄れている時代の流れを消す対策の一つとして、若者の関心に目を向けた町作りであります。
着物の飾ってあるショーウインドーが至る所にあって、歩いていると着物の町だなあという実感が出て来ます。
 店員が着物姿のおしゃれなカフェも古い商店街を飾っています。
そこで「ちゃや」という店を選んでランチを食べることにしました。
着物姿のウェイトレスが「おいでやす」と迎えてくれます。
京言葉が失われずに使われているのにびっくりします。
柔らかくて女性的であると、女の言葉としてその暖かみが喜ばれている京言葉は、敬語や丁寧語が大変上手に使われていると私は思います。
「おはようさんどす」「しはらしまへんのどすか」等を使ったのんびりした言い回しもその魅力の一つでしょう。
和紙で作られたメニューから京料理のセットを頼みます。
 日本の文化、歴史が凝縮されている繊細で奥ゆかしい京料理は、時をこえて人を魅きつけています。
二十一世紀、今よりもっと進んだ文化の中で、きっと京料理も進化していると思います。
未来に料理だけ残っても京料理とは言えないと思います。
季節感や建物、そしてもてなしの心を持ち続けて食する人に感動や緊張、新しい美の発想を与え、もう一度訪ねたい気持ちにさせてくれるそれこそが二十一世紀に存在すべき京料理の姿だと思います。
 昼御飯を済ましてから神戸行きJRに乗るために祇園でバスに乗ります。
ガソリンとエンジン等地球に悪いものは不使用のソーラー電気で走るバスです。
退屈でしたので二人の女子高校生の会話に耳を傾けます。
二人は西陣織の独特の地模様を取り込めてデザインされているキュートなバックを開けて中のものをお互いに披露します。
バックに入っているDVD−ROMは教科書なのです。
教科書の内容が凝縮され、書き込み可能なことからノートも一緒に兼ねています。
毎日学校に持って行くのは小型の端末パソコンとDVD−ROMだけです。
 「けまり大会は何時からだったっけ?」
 その時、一人の携帯がなりました。
 「keyiちゃん、今どこ?」
 「いま祇園あたりや。
三限目の授業清水寺で・・・・」
 「今日の給食は懐石料理が欲しいなあ〜」
 今のようなスタイルとは全く別の、個人の能力を十分に発揮でき、退屈のしない学校にみんな通っているのです。
そしてけまり等が京都の歴史のあるスポーツとして採用されたり、授業をお寺で受けたり、給食が懐石料理だったり外国料理だったりしています。
 京都駅に着いてカードを読みとり機に入れて私は降ります。
そしてJRに乗って古い京都から国際都市神戸に向かいます。
 京都は昔から海外の文化、技術を積極的に受け入れ、それをとぎすまされた感性「和」の世界に昇華して来ました。
来たるべき二十一世紀は、従来の輸入型だけでは京都の役割は果たせないと思います。
もっと京都を舞台にした本格的交流が展開される必要があります。
例えば二十一世紀も学都を維持するために、アジアの学生がもっと留学で京都に来られるような支援体制を作ってほしいです。
寮、奨学金、生活全般に対して整った受け入れ体制が望ましいです。
 京都と言えばまず落ち着いた和服のイメージがあるのですが、実際にはお寺の敷地内だけで、周りにはビルや大きい道路があったりして、風情に欠けています。
京都から和風建築がどんどん消えて行くことは、憂慮すべき事態であります。
古い町並みを保存して欲しいです。
例えば今はやっている大理石のお風呂にせずに木や竹などで作ったお風呂にしたり、旅館に井戸を作ったりしたら風情が出ていいのではないでしょうか。
町並み全体で「京都」というイメージを作りだして、京都を訪れた人に、「さすが京都」と心を和ませてもらえるような町並みにして欲しいです。
今の京都の光景を見ていると、ネオンのような電飾ばかりが目に付きます。
このままだと二十一世紀には大文字の送り火さえもネオンになってしまうのではないでしょうか。
 いつまでも未来に語り継がれるような、そして歴史に残るような京都であって欲しいです。

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