京都は個性の町だ | |
パメラ ポンティアス Pamela Pontius |
実は、私が育った町は一つではありません。 十才までコネチカット州に住んでいて、1989年に東京にひっこしました。 東京は四年間暮らして、高校に入る前にテキサス州にひっこしました。 今は、ボストンにある大学の学生です。 住むところによって色々な経験をしたので、色々な見方から京都を見ることができます。 そして、京都という町を他の町と比べれば比べるほど、本当に自分の味を持っている町だと感じざるをえません。 八月三十日、飛行機が関西国際空港に着いた時、「あっ、日本に帰ってきたんだ」と感じました。 日本を離れて六年になり、私は今年の留学を心のそこから楽しみにしていました。 でも、胸をワクワクさせて飛行機を降りてみたら、まわりの日本人の話し方が全然分からなかったのです。 東京にいた時、またはアメリカで日本語を勉強した時、京都弁を勉強したことがなかったし、一回も聞いたことがありませんでした。 だからそのとき、今年こそ京都でたくさん新しいものが学べるだろうとはっきり自覚しました。 京都は東京とだいたい同じ雰囲気を持った町だと思いましたが、実はそうではありませんでした。 京都と東京の一番大きい違いというのは、京都の人が東京の人より忙しくなさそうだということだと思います。 来る前には、東京と同じように人々は駅から職場まで急ぎ足で向かって、昼食にも十五分しかかけないにちがいないと思ったけれど、実際はそうではありませんでした。 このことは鴨川の土手を見るとすぐ分かります。 そして、鴨川が京都の心といわれている理由も理解できます。 朝、京都の人は鴨川の土手を犬とさんぽしたりジョギングしたりします。 昼は、学校または会社の仲間と弁当を持っていって食べたりします。 夜は夜で、楽しそうにビールを飲んでいます。 いつも、そこにはお年寄りや楽しそうなカップルや親子の姿が見えます。 京都の生活を感じるには、晴れている日の鴨川が一番です。 土手に座って見物さえしていれば、京都の人の生活ぶりが伝わってきます。 鴨川の土手に座って見回すと、北にも東にも西にも山が見えます。 アメリカのテキサス州では、ただ広い芝生に見慣れている生活だったから、まわりの山を見ると、一つ一つ違った味があるこういう山に絶対行きたいという気持ちになります。 今まで週末はいい天気が続いていたから、嵐山や東山に遠足に行くことができました。 京都に来てからの遠足で、一番好きなのは大文字にのぼったことです。 (実は、今まで三回ものぼったほどです!)のぼりながら、小さい滝から流れる水が飲めるし、ハアハア言ってのぼっているとおりてくるひとに「こんにちは」って少し笑われたりします。 そんな風にのぼっていく間も、木の間からちらりと見える京都の姿が楽しめます。 上にあがってから景色を見ながら持っていったお弁当を食べるのは何といっても最高です。上から見ると、京都を囲んでいる山は京都を守っているみたいに感じます。 どこを見ても、緑、緑、緑。 都会でも、自然がこんなに近くに感じられる京都は本当にいい場所だと誰でも思うでしょう。 ハイキングするのは丸一日かかるから、そんな時間がない時は、お寺や神社に行きます。 歴史的なところは私にボストンを思い出させます。 京都にせよ、ボストンにせよ、人がそれぞれの国の生い立ちを感じさせる町です。 でも、京都の年齢はボストンの三倍だから、お寺や神社を見に行っても歴史の重さを感じます。 京都御所では十二ひとえを着ているお姫様を容易に想像できる雰囲気にひたることができます。 金閣寺や銀閣寺では、まるで足利の将軍になったように立派な庭園をさんぽできます。 南禅寺の山門の前に立って、徳川の将軍のすごさを感じることができます。 あらゆる時代が京都にその足跡を残してきました。 京都の人たちがゆったりとした気持ちで暮らせるのは、きれいな風景に囲まれて昔の名残が感じられるからにほかならないと思います。 言うまでもなく、京都の生活にはどこにでもあるようなことがあります。 毎日乗るバスや電車でみんな日本語で話すのは東京のようです。 通りを歩いていて歴史を感じることができるのはボストンのようです。 でも、どこにでも見られるような町であるにかかわらず、京都は本当に個性の町です。 私は、こんな顔を持った京都が大好きです。 京都の人々と鴨川のかかわり合いは、京都の独特の雰囲気を伝えてくれます。 京都に来てまだ二ヵ月、これからの留学の経験を通して、私の京都を発見していけるのを楽しみにしています。 |