2008年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「失敗を乗り越えて、生まれ変わった自分へ」 ユン ヨイル
韓国
  皆さん、こんにちは。僕は韓国の圓光大学からきた尹汝一と申します。
韓国では日本語教育を専攻しています。
教育学部の最終目標といえば教師になることです。
僕ももちろん教師になることを目指して勉強していますが、僕は教師という立派な職業に対して特別な思いを持っています。

 今日は、中?高校時代、どん底に陥っていた自分を助けてくれた、今では恩師ともいえる、ある一人の立派な先生との運命的な出会いと、その出会いから芽生えてきた自分の夢についてお話させていただきたいと思います。

 中学校時代、僕は学校代表のバレーボール選手でした。
その当時、良い成績を残すため、学校の授業には全く出ずに、毎日バレーの練習にばかり打ち込んでいました。
身体能力には元々自信があり、また厳しい練習も乗り越えて、大会ではいつも良い成績を残し、バレーで有名な高校からスカウトの話も出るようになりました。
しかし、ある事情により、バレーボールをやめさせられ、僕はその時から、底のない深い反抗期に陥ってしまいました。

幸い、普通の高校には進学することはできました。
しかし、今までバレー一筋でやってきた僕にとって、バレーなしの生活はとても単調なものでした。
学校の授業にも集中できず、自分に対しての不満や情けなさが積もり、いつの間にか、先生や学校に対してこのどうしようもない感情をぶつけていました。
この頃から僕は学校で“問題児”と呼ばれるようになりました。

そんなある日、9月ごろでしょうか、僕は大事件を起こしてしまい、警察に保護されてしまいました。
次の日、先生と父親が警察署まで来て、僕の代わりに何時間も謝ってくれました。そのおかげで、どうにか僕は学校に戻ることができました。

学校に戻ると、僕はその当時副担任だった先生に体育倉庫に閉じ込められ、何時間も説教されました。その後、先生に、
「お前、これで勉強してみろ。そして、12月の試験を受けてみろ。じゃないと、退学だ。」
と言われ 、1冊の本を手渡されました。

その本は、今や日本で一番知られていて、実際の日本語教育現場で一番良く使われていると言われる『みんなの日本語』という本でした。
当時はあまりの怖さに、つい「やってみます。」と答えてしまったのですが、その当時僕は日本語の知識など全くなかったのです。
しかし、やるしかない!と決心し、その後3ヶ月間、必死に日本語の勉強に励みました。その結果、1999年12月にあった日本語能力試験の2級に受かることができたのです。

試験の結果を先生に告げると、先生はとても喜んでくれました。
その時、先生がかけてくれた一言は今でも忘れません。

「ほら、お前もできるだろう?お前には限りない可能性があるんだから。」

この一言で、僕の高校生活はすっかり変わりました。
授業もちゃんと出るようになり、先生の間でも「仕方ない生徒」から、「日本語のできるユンヨイル」と認められはじめたのです。

高校3年のセンター試験の間際に分かった事実ですが、2年前事件があった当時、僕に本を渡してくれたその先生は、 なんと校長先生に“自分が全ての責任をとってでも生徒を助けます“と、僕の退学処分を白紙に戻してくれていたのです。

その事実を耳にした瞬間、僕の心の中から熱い何かが湧き出しました。
そして、決心しました。
その先生のように学生を信じ、心から学生を愛する素晴らしい教師になろうと。

そして僕はセンター試験を受け、念願の教育学部日本語教育学科に入学することができました。

今、僕が通っている圓光大学こそがその先生の母校なのです。

先生に出会って、どん底に陥っていた自分の生活をもとに戻すことができました。また、日本語と出会うことができ、夢を抱くこともできました。
そしてその恩返しとして、先生が勉強した圓光大学で、これからも一生懸命勉強し、夢に向かって頑張ろうと心に決めたのです。

自分にとって教育とは、先生と生徒との距離、つまり一人一人とのコミュニケーションによって初めて成り立つものだと考えています。

しかし、今の教育現場で、それが実際に行われていると、断言することはできません。学歴社会に飲み込まれて、中学、高校はもちろんのこと、小学校までもが、成績、数字にこだわるようになり、生徒一人一人の個性や人間性が重要視されていないのが今の教育現場の現状だと思います。

そんな教育現場が、生徒間の格差を生み、いじめ、ひきこもりなどの原因を作り出しているとのではないでしょうか?

教師が生徒一人一人の個性を知り、理解してあげることで、多くの生徒が学校を心地のいい自分の居場所と感じ、また意欲的になるのではないかと僕は考えます。
 将来、自分も教師となり、たくさんの生徒と出会うと思います。
以前の僕のような生徒もいるかもしれません。
しかし、どんな生徒に出会っても、最後まで向き合う。あの当時僕を救ってくれた恩師のような教師に僕もなりたいです。
 
「やればできる、お前には限りない可能性があるんだから」この先生の言葉を忘れずに日々成長していきたいです。

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