2006年外国人による日本語弁論大会 発表原稿 |
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「美しい国の源」 |
パン シタツ 中国 |
日本は美しい国だと思います。なぜなら日本人は美しさの源を持っているからです。
私の母国中国も美しいですが、日本ほどではないと思います。なぜなら中国には美しさの源はまだ広がっていないからです。 美しさの源は何かというと、それは環境保護への関心と思いやりです。中国の人々の環境保護への関心はまださほど高くないと思います。何故私はそう思うのでしょうか。私が日本、中国で見た、感じたことを聞いていただければお分かりだと思います。 去年の冬、私は金閣寺に行ってきました。ちょうどそのころは大雪が降り、白い衣をまとったような金閣寺を写真に収めました。その日の金閣寺はとても込んでいましたが、みんなは整然と順序良く中に入っていきます。雪がさらさらと降っています。 人々の足音もサラサラと鳴っています。 そのとき人と自然がいかに調和しているかは、言葉ではなくまさにそのさらさらというメロディに、最もよく表われていました。 真っ白な之に覆われた金閣寺はいつものきらきらと金色に輝いている姿ではなく、淑やかでたおやかで淑やかで尊い貴婦人のような一面を見せてくれました。 そして私にも他の観光客と同じように自然にと微笑みが浮かんでたのでした 写真を撮っているうちに、段々寒くなってきた私は缶コーヒーを少しずつ飲んで、体を温めました。 しかしコーヒーを飲み終わって、空き缶を捨てようと思った時に、近くにゴミ箱がないことに気づきました。 「まあ、どうせ誰かが片付けてくれるから」と思い、空き缶を道の脇に置こうとした時に、ある光景を目にしました、それは他の観光客が自分のゴミを袋に入れて、もって帰ろうとするシーンです。 その瞬間、私は空き缶をぎゅっと握り締めて、道の真ん中に戻り、何事もなかったように歩き続けてました。 「そのまま捨てなくてよかった」と思いながら、非常に恥ずかしく感じました。 なるほど、ゴミ箱がなかったら自分で持ち帰って始末するんだ、清潔な京都が保てる理由はみんな一人ひとりが環境を大切にする気持ちえを持っているからなんだ、と私はその日分かりました。 では中国はどうでしょう?今年の夏休みに、私は故郷に帰りました。 私の故郷は雲南省の大理という町です。唐に時代に立てられた大理城は観光地といて有名です。 大理城の前に立ち、懐かしいお城見上げて、久しぶりに帰っきた私はわくわくしてきました・ 「さっ入ろうか」と横断歩道に一歩踏み出そうとした瞬間、「ピーー」と一台の高級車がクラクションを鳴らし、私の前で止りました。「おい、ちゃんと車見とけ!お前みたいなボーとしてるヤツがいなかったら中国はもっと速いスピードで発展できるのに...」と運転手に怒られました。 「ハァっ?それって関係ないんじゃない?}と思いながらも思わず謝ってしまいました。 頭上げて信号を確認したら確かに歩行者が青信号でした。 それでもこちらが悪いことをしたような気分させられてしまったのです 気を取り直して、再びその交差点に挑戦!今度は無事にお城の中に入ることができました。 「あぁー、僕、帰ってきたよ!」と心の中で故郷に語りかけながら静かにお城の中を散策し始めました。 ところが、そんな私の気持ちを邪魔するものがありました。 それはあっちこっちに落ちているビニール袋、タバコの吸殻、みかんの皮といったゴミでした。 すぐそこにゴミ箱が置いてあるのに、どうやら誰もそれらをゴミ箱に捨てようと思わないようで、そのままポイ捨てしていました。 「幸い今はミカンの季節、もしこれがバナナの旬だったら・・・・」 と思うとぞっとしました。 高い経済成長を達成し、これからも発展していく中国ですが、どうしてみんなはまだこんなことをするのだろう?と私は不思議に思いました。 中国が経済発展をこれからも行うことは否定しませんが、それと同時に一人ひとりの環境保護の意識も高めていかなければならないと思っています。 1980年代から、中国は凄まじい経済発展を遂げているとよく言われています。 統計によると、1979-2004年の中国の年平均GDP成長率が9.6%となっています。 そして、2004年度中国の輸入額と輸出額はいずれも世界第三位となりました。 これからは世界貿易においては欠かせない役割を担っています。しかしその一方で、中国では、環境汚染、環境破壊という深刻な問題を引き起こしています。 たとえば、大気汚染、産業廃棄物、山のような都市ゴミ、いずれも環境を破壊しています。 この問題を放置すれば、中国はもちろん、今後世界においても非常に大きな問題になってくると思います。 その問題を解決するには、中国学校教育における環境教育を重視すべきだと思います。 確かに近年中国はいろいろ環境保護に関する法案を可決してきました。 しかし美しい環境作るには市民の一人ひとりが環境保護意識をもたなければなりません。 健全な法律体制を整えるだけでなく、日本のように国民に環境保護の大切さを認識してもらわないと、法令は机上の空論になりけなません。 わたしもこれから、環境保護を重視しながら、日常の生活を送っていきたいと考えています。 例えば、ゴミのポイ捨てをしないこと、生活用水を節約すること、一回使った紙の裏を利用すること...このような一つ一つの小さなことを意識しながら積み重ねていけば、私の環境は清潔な環境だけでは、人と調和される、美しい環境になると信じています。 21世紀の今日、各国は均衡の取れた経済社会を構築してくべきだと思います。 それは経済発展と環境保護両方とも重複する社会だと考えています。 そのような国の基本は国民一人ひとりが、身近なことから美しい環境を維持しようと意識すること、これがつまり美しい国の源です。 この美しい国の源を広げることによって、日本、中国、アジア地域、そして全世界が美しい世界になると思います。 私の力は余りにも微力ですが、このささやかな力を環境保護に捧げたいと思ってます ご静聴ありがとうございました。 |