2006年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「日本でみつけた可能性を
障害児教育に生かす」

エリカ マリア マトゥス ラモス

ホンジュラス

  私はホンデュラスという国から来ました。
ホンデュラスは中央アメリカにあり、日本の3分の1ほどの小さい国で、スペイン語を話します。
10月5日で私が日本に来て1年になりました。
今、文部科学省から奨学金を頂いて、京都教育大学で障害児教育について研究をしています。
私も目の障害を持っています。
私は網膜色素変性症で視野がひじょうに狭く、少ししか見えません。
夜は光しか見えないので、一人では歩けません。
 時々私は周りの人から、「どうしてそんな思い障害があるのに、日本に来たの」と聞かれます。
私も自分自身にその質問をします。
日本に来ることは私の16歳からの夢でした。
私は母国にいても近くのスーパーマーケットにさえ一人で行くことはできませんでした。
そんな私が、家族から離れて、ひとりでこんな遠い日本にいるのです。自分でも時々信じられないような気持ちになります。

エンジニアの父が橋を作る仕事で、日本に来たのは1993年のことでした。
ホンデュラスの日本大使館で日本語を習うことになった父は、私に一緒に勉強しないかといいました。
父は、日本に、1ヶ月滞在して、いろいろな日本文化と触れ合いました。その話を聞き、私もいつか日本に行きたい思いました。
日本語を3年間学んで、言葉も覚え、日本の人ともたくさん交流しました。それを通して私の日本へのあこがれはますます強くなりましたが、日本は遠すぎるので、高校を卒業してから、アメリカの大学で4年間、特殊教育の勉強をしました。
卒業してから、ホンジュラスに戻って5年間、幼稚園と小学校で特殊クラスの教師をしました。
その仕事をとおして、子どもたちが他の言語を習得するときに、
障害があるということがどれくらい困難をもたらすかということについて関心を持ちました。
それについて勉強したいという目標ができ、日本で研究したいという夢がどんどん大きなリました。

以前、日本大使館にあったポスターの富士山の美しさに私は感動しました。
いつかはこの目でほんとうに見たいと思っていました。
今年の8月に友達が富士山に登らないかと誘ってくれたとき、私は登山のたいへんさを知らずに「はい」と答えました。
その練習に一週間前に大文字山に登りました。
富士山に登るときと同じ荷物を背負って、3分の1登ったときに、あまりにしんどくて、私は荷物を投げだしました。
そのとき私は、他の友人から、
「エリカさん、富士山に登るのは無理だよ」
といわれていたことを思い出し、歯をくいしばって頂上まで上がりました。

いよいよ富士登山の日、新7合目で宿泊して、夜中の1時に出発しました。私は全く何も見えませんでした。
私がつかんでいる友人の手だけがたよりでした。
頂上がまだまだ遠いことがわかって、疲れがでました。
でも頂上に着いたとき、疲れは吹っ飛びました。

降りるときは、大きな石がごろごろあるのでとてもこわくて、足も痛くて、息も切れました。その時、友人が言いました。
「私はあなたの目です、信頼してください。」
私はその言葉を聴いて、日本に来る前のことを考えました、私は、日本来てから、
どんな風になるのか全然わかりませんでした。
友達ができるのか、どんな大学でどんな先生なのか、ひとりで生活できるのか。
でも日本に来て、友達も一杯できて、大学生活も恵まれています。まわりの人たちの温かい思いやりや手助けに感謝しています。

私は自分の体験を通して、どんなことでも、周りの人に助けられたら、出来るということを知りました。
これは教育の考え方にもつながります。
教師がはじめから、無理だろうと決め付けたら本当に子どもはできません。
しかし出来るよといって励ましたら、子どもはどんどん出来る方向に伸びていきます。

ホンデュラスに帰って子どもたちに接するとき、障害のある子どもにも、その子にあった援助をすることで、ひとりひとりの可能性を伸ばしていけることを伝えたいと思います。
そして、こんな私でも、遠い国日本にやってきて、富士山に登れたことを話して、子どもたちが勇気を持ってくれれば嬉しいです。

神様への信頼と、周りの人たちの親切があれば、私は不可能なことはないことを確信しました。



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