2006年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「俺ら京都さ行くだ!」

マキシム マックガン
カナダ

 これから日本で滞在をする私は、最近この社会について色々わかっていなかったことに徐々に気付いてきました。
日本社会に入る為、考えれば考えれほど気になるのは、日本語の上下関係のことです。

人は言葉に流されやすいので、日本人のこころの源である日本語を大切に使わなければ、その結果が心にまで影響してしまうのだと思います。
言葉を広い海の様なもの例えて、または日本語をその海に注ぐ大きな川に例えるとすれば、その川の堤防が複雑に乱れて砕けない様に、且つ又すべてが秩序に復する為、日本語の上下関係が必要である様に思います。

それは日本人には確かに理解しやすいことですけれども、カナダ人の私がそのことに気づくまでには、さまざまな艱難辛苦を乗り越えなければなりませんでした。

それゆえ、日本語を通じて京都で体験した大切なことについて話したいと思います。
けれどもまずは、ちょっと過去に戻りましょう。

自分と日本の一生の友情の最初の一歩は、四年前につくりだされました。
十七歳の時、留学生として高知県の小さな村で半年を過ごした時のことである。高知に辿り着いたら、まだ日本語が話せなかったので、須崎高校の同級生に頼って、日本語を何気無く歩もうとしました。
ところが、教えられた日本語があまりにも四万十川の香りがしていて、日本語というより、土佐弁を教えられたと言った方がいいほど標準語離れした話し方でした。
そこで半年が経って、カナダに帰国したら、覚えてきた片言の土佐弁で十分満足していたのですが、丁寧語がまだほんの少ししか使えなかったことは、とても困りました。

それから四年後、大人になった私が10月に再び来日しました。
新たに日本に心を向けて大いに驚いたのは、京都駅の周りを歩く着物姿の女性達ではなく、この街の甘い国なまりでもなく、
「ただウチのね、今まで使こーてきた日本語が間違ごーちゅうんやねぇかな

、と言うことでした。

自分のだらしがない日本語で人にどんな風に声をかければいいのかな、と迷いつつ、どうしても解決できませんでした。
外国人として京都で土佐弁を使っても、時々苦笑いされるけれども、そんなに大したことではないとすぐ分かりました。
ただし外国人ではなくて、ただ一人の大人として日本社会に入りたいのなら、日本語の上下関係が使えなければ、毎日ものすごくわずらわしい目に遭います。

これからそういった経験について話したいと思います。

ある10月の夜、前述べた様な困り果てた生活に厭きてしまい、自分の本名を名乗ってこの街を堂々と歩く為に、京都のどこかのスナックのママに相談しようとしました。

「hakobune」という所に着いたら、自分の変な日本語に自身がなくて、震えるほど緊張をしてスナックの重い扉を開けました。
店の中にどこかのおじいさんが山本譲二の「道のく一人旅」を歌っていて、少々お酒に酔った常連のお客さん達が、陽気な会話でスナックの壁を響かせていました。
そういう盛んな雰囲気に流されず、河島英五の曲の様にカウンターに座り、安い焼酎を呷って(あおって)黙っていました。

ところが鳥羽一朗と前川清のリズムに体が自然と乗ってきて、加えてお酒の香りに酔うにつれて、自分のインフェリオリティコンプレックス(注*1)がやっと熔けてしまったら、吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」をカラオケに入れました。
すると、意外にも奇跡が起こって、常連のお客さん達からの雨の様な拍手を浴び、この曲をまるで「のど自慢」レベルに近いように歌えました。

そうして、60年代の佐藤さんが私に声をかけてこう言いました
「あなたは演歌が好きですか?」とそこで私は丁寧語を使わずに
「うん、ホンマに好きじゃけん!おまんちょっとね、『おふくろさん』歌ってくれんけぇ?」と答えてしまいました。

けれども、自分のものすごく無礼な日本語が相手を怒らせるよりも、
むしろ爆笑させました。
「ワシは駄目じゃけん!おまんは歌ってくれんけぇ?」
と佐藤さんが僕の日本語を真似して答えてくださいました。

あの夜、「おふくろさん」は歌わなかったけれども、その人のおかげで、新しい知識を得ました。
佐藤さんがスナックを去る時、
「マキシムの日本語は全体的にまぁ。大丈夫ですが、直すべき所も沢山あるから、これから頑張って丁寧語ぐらい覚えて下さいね。」と僕におっしゃった。
しかし正直に言うと、その言葉の価値がまだ分かってませんでした。
なぜなら、ちょっとでたらめに話していても、全体的に大丈夫であったら、それで十分じゃない、と思っていましたからです。

そこで大学の寮に帰って、電気を付けてインスタントラーメンを作ろうとしたら、佐藤さんが僕におっしゃった一言が突然甦ってきて、彼から貴重な言葉をいただいたということに気づきました。
実は僕は丁寧語と尊敬語が少し話せますが、最近までわざと使っていませんでした。
なぜなら、ただ外国人としては、くだけた日本語が一番理解しやすくて伝えやすいからです。
そのため、誰にでも、スナックで初めて会う人にも、スーパーのレジのおばさんにも、皆に、生まれてからずっと同じ砂場で毎日遊んできたように声をかけてしまったのは、大変失礼だと、その夜、思い知りました。

あらゆる出来上がった表現とでき合いの言葉を不自由と看做(見なす)していた私が佐藤さんがの言葉を解明した時、最初から完全に間違っていたと分かりました。
誰かと打ち解けた言葉で話したいのなら、まず相手と友情を築かざるを得ない。
そうでなければ意味がありません。
ですから、丁寧語を使って話すべき人に丁寧語を使い、尊敬語を使って話すべき人に尊敬語を使うのは、自由と関係なく、適切な事です。
そうすると、親しくなった人にくだけた日本語で話す時、自由をもっと感じるのではないでしょうか。

日本人の皆が同じ生い立ちを持つ訳ないのに、上下関係の言葉の力で、それぞれのばらばらなこころ同じ場所に繋げることが出来るのは、素晴らしいと思います。
もし佐藤さんにあの夜「おふくろさん歌ってくれぇ!」と言わなかったら、今でも人の事を褒めたい時、逆に偉そうに聞こえて貶して(おとして)しまい続けていたかもしれません。
佐藤さんのおかげで、日本で生活するうえで生かすことのできる良い経験ができました。

フランス語も日本語も、どちらの言語で例えても、人間は言葉に流されて生きるので、言葉いわば人生の鏡であると、そのスナックの夜に、分かりました。
これから京都で一年間を過ごすので、日本語の基本から勉強しなおして、上下関係の言葉使いを鍛えて行きたいと思います。

ご静聴有難うございました。



編集者注記
注*1 インフェリオリティコンプレックス:劣等感
inferiority feeling ; inferiority complex
 容姿,体力,知的能力,性格,血筋,財産,社会的地位などの点で,自分が他者よりも劣っているという感情である。客観的に他者よりも劣っているということよりも,主観的に劣っていると思い込むことにより生じる。劣等感がコンプレックスを形成すると劣等感コンプレックスとよばれる。アドラーは劣等感(コンプレックス)と優越感(コンプレックス)を相互補償的な関係で捉えた。


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