2006年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「ミャンマーの子供たちの夢を
実現するために」


ノリーン キン レー ニュー

ミャンマー

 ミッチナー病院の子供達の夢を実現させるために

シャボン玉飛んだ

屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで

壊れて消えた
風風吹くな

シャボン玉飛ばそ

 ご存知ですか。日本語の授業で習った歌です。
野口雨情という人が、生後わずか7日で亡くなった娘をいたんで作った歌だそうです。
私には、この歌に込められた彼の気持ちがよくわかります。

  3年前、高校3年生の時のことです。
私は校外学習でミッチナーという町にある病院を尋ねました。
そこで私たちを待っていたのはエイズの子供達です。
私は、自分が生きていける時間は、もうわずかしかないことを知っている子供達の気持ちはどんなだろう、と落ち着かない気分でした。
でも彼らは、子供らしい無邪気な笑顔で私たちを迎えてくれました。
自己紹介では「将来僕はお医者さんになりたい」、「国を守る政治家、宇宙飛行士、弁護士になりたい」など口々に将来の夢を語ってくれました。
なかには世界中を旅していろいろな料理作ってみたいいう子もいました。

 もし私が、エイズになったら、どうでしょう。
きっと絶望し、病気の心配をするだけで、将来の夢をもつどころではないと思います、それなのに、彼らはどうしてそんなに明るく、将来の夢までもてるでしょう。
 後で看護士に聞いてわかったのですが、この子達ははエイズという病気と戦っているだけではなく、親にも死なれた子供達でした。
この病院に来る前は、毎日の寝る場所にも、食べ物にも困っていて、学校にも行けなかった子供たちです。
今、彼らは、やさしい病院のスタッフたちに見守られ、食べ物の心配もなく、病院の暖かいベッドで眠り、同じ病気の仲間達と過ごしています。
もしかしたら、彼らは、今が一番幸せなのかもしれません。だからあんなに明るかったのかもしれません。でもあの子達は、みんな、もうすぐシャボン玉のように遠くまで飛ばないうちに消えてしまうのです。
あの子達の夢がかなうことはないでしょう。

 今年の夏休みに東京ディズニーランドへ行ってきました。
そこでは、大勢の日本の子供たちが楽しそうに乗り物に乗ったり、アトラクションを見たりしていました。
何の心配もない様子で、夢中で遊んでいました。
その様子を写真やビデオでとる親達も幸せそうでした。
それを見ていて私はとても悲しくなりました。
あのミッチナーの病院の子供達のことを思い出したからです。
この世界へ同じ人間として生まれて来たのに、なぜ生きる道がこんなにも違うのでしょうか。

 ミャンマーでは1988年にはじめてエイズ患者が確認されて以来、患者は増えるばかりです。
東南アジアの中でも感染率が高く、増加率に関しては1位か2位と言われています。
正確な統計はありませんが、エイズ患者の中でも子供の数がもっとも多いそうです。そのきっかけは親からの感染であると言われています。
現在ミャンマーでは法律では禁止されていますが、麻薬の売買をしている人が大勢します。
そんな仕事をしていると、そのうちに麻薬を使うようになります。
そして、注射器を使いまわすことによってエイズが感染するのです。

 ミャンマーという国は皆さんご存知のように、非常に貧しい国です。
北部の村なんかは食べるものが十分ないところも少なくありません。
仕事もないので、親たちは法律違反を承知で麻薬を売買をする道を選んでしまい。結局、最後は子供まで犠牲になってしまうのです。

 現在、エイズを根本的に治す特効薬はまだないものの、エイズ発症を抑えることは出来るそうです。
もし日本の子どもがHIVに感染したなら、多分、いいえ絶対に、HIVを抑えることができるでしょう。
でも、ミャンマーではできません。
その一番の原因はミャンマーが貧しいことにあると私は思います。
国の経済が発展しなければ、夢を実現するための努力をすることさえ許されず、シャボン玉のように消えてしますエイズの子供達は増え続けることでしょう。

 私は将来ミャンマーの経済発展に役に立ちたいと思い、現在龍谷大学の経済学部で学んでいます。
将来母国へ帰り、日本で学んで知識を活かして、海外との輸入や輸出を行っている会社で働きます。
国の貿易がもっと盛んになるように努力したいと思います。
天然資源が少ない日本でも、戦後わずかの間に経済を発展させ、人々の生活が楽になったではありませんか。
日本に見習えば、私の国の経済も、きっと発展できると信じています。
国の経済が発展すれば、HIVを抑える薬を買うことも出来ます。
そうすれば、HIVの子供達を助けることが出来ます。
また学校に行きたい子供達も学校へ行けるようになります。
エイズの子供達にも将来の夢を実現するチャンスが生まれるのです。

 外国で、アルバイトをしながら勉強するのは、正直言ってつらいです。
でも、辛いときにミャンマーの未来と、ミャンマーの子供たちの未来を考えれば微笑(ほほえみ)が浮かんできます。
 私の国ミャンマーを、日本のように子供たちが夢を持つことができる国するために、一日一日を大切にして頑張っていきたいと思います。

 ご静聴ありがとうござました。



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