2006年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「カルチャーショックについて」

ショプフ カロリーネ

ドイツ

皆さん、こんにちは。ドイツから来ましたショプフ・カロリーネと申します。みんなからはカリューと呼ばれています。

今年の3月京都の大学で初めて受けた授業はまだはっきり記憶に残っています。
その授業の教科書にはカルチャーショックの5つの段階について書かれていて、
先生は「あなたたちは今、どの段階にあるとおもいますか?と聞きました。
2002年からワーキングホリデービザを使って1年間日本で過ごしたことのある私は、「もう最後の段階だ!もう日本のほとんどのことを分かっている!」と思いました。
そんなは私は、書道部に入りました。部活は楽しかったですが、3、4ヶ月たっても、望んでいたほど皆と仲良くはなれませんでした。
「どうしてだろう?やっぱり、私が外国人、日本人がシャイだからかなー」と考えていた私は、何人かにたずねました。
ほとんどの人は、「カリューは悪くないよ。自信を持ってください」などと言いました。しかし、ある人から一通のメールをもらいました。
そのメールには、「カリューは自己中心的、謙虚でない、人を勝手に判断する、義理と人情をしらない、よく反論する、プライドの高い人間です」と書かれていました。
とてもショックでした。「私はそんな悪い人間にみられていたの?わざと悪いことをしようと思っていたわけじゃないのに!どうして?」とてもとても辛かったです。

留学したことのある友達に相談して、文化の違いについて説明してもらいました。
ドイツ人は自分とほかの人とはっきり離れている個人として見ていますが、日本人は自分をほかの人と関係づけて定義しているとのことでした。
その考えをもとに、過去の自分について考えてみました。
そうすると次のようなエピソードがありました:
書いた作品の仕上げのとき、先輩が「もっとこうしないと作品が破れるかも。」とアドバイスしてくれました。
しかし、私は早く行かなければならないところがあって、「いや、いいです」と断りました。先輩が何度も勧めてくれたのに、私は何度も断りました。
「カリュー、先輩のアドバイス聞いたら?」と言ってくれたのですが、私は「ドイツには先輩と後輩という制度はない!」と、怒ってしまいました。
先輩は私のことを心配してくれたのに、私がその心配いして、自分のことしか考えないように感じたのでしょう。
ほかの例もたくさんあります。私は、誰かが意見を言ったとき、「いや、違うと思います」とすぐ反論していました。周りの人に合わせずに、いつも自分がしたいことを先にしていました。黙って空気を読むべき時でしゃべりすぎていました。

ドイツでは、そのようなことはあまり問題になりません。ですから、昔は、日本人にその理由で避けられていたことに気付きませんでした。
しかし、日本人はその私の行動で、頭では「カリューは外国人で日本人と違うから仕方ない」と分かっていても、心ではやはり、
「カリューにとって、私が何を考えているか、どう感じているか、は、どうでもいいことなんだ。」と思ってしまって、傷ついていたのです。
自分の文化においては何も悪いことをしていなかったのに、相手の文化の中で知らず知らずのうちにルールに違反し、それが問題になるという現象があるみたいですね。
今考えると、たくさんの人を傷つけことに気付いて、本当に悲しくなります。申し訳ない!と思います。そして、私に対して諦めず、本音を言ってくれて、文化を説明してくれた友達には、心から感謝しています。

その結果、私の考え方に変化が起こりました。以前、私は理由も分からずに、人に怒られたり避けられたりしたら、「相手がおかしい!」とか「性格が合わない!」と思って、相手を理解することを諦めていました。
人が私には納得できない考え方を言ったとき、「しょうがない人だ」という考えで終わっていました。
しかし、今はもうそう考えません。誰かが怒っていたら、常に「今、私に理由が分からなくても、その人は何かに傷ついて、辛いから怒っているんだ。理解しよう!」と考えます・
人が私と違った考え方をしていたら、「相手は自分の経験でその意見にたどりついたのだろう」と思って、まずどうしてそう考えるようになったかを理解しようとします。
 そして違う文化や価値観などがあっても、それに良し悪しがないことが分かりました。

国際社会に生きる私たちの抱える課題は、異文化を善悪で判断せずに、相違をありのまま認めて、乗り越えようとすることではないか考えいます。
 世界中の様々な衝突は、「お互いを理解しよう!」という意識の欠落とつながりがあるのではないかと考えています。
例えば、ドイツでの先住民と移民との諸問題。あるいは、今世界中で起こっているテロ事件。あるいは、日本と韓国や中国などとの関係。
自分が悪いことをしたという意識がなくても、相手が傷ついていることを認めて、なんとか解決への道を探そうと決心することが大切ではないでしょうか。

そのかけがえのない大切なことを教えてくれたのは日本の人たちでした。心から感謝しています。
以上で私のスピーチを終わります。ご静聴ありがとうございました。



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