2006年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「弱いことってすてきやな」

トウ ケン

中国

 日本に来て、私には、新しい家族ができました。
お母さん、お父さん、そしておばあちゃんです。
お母さんは、私が描いていた日本女性のイメージそのものです。
お父さんは、いつも冗談を言って私を楽しませてくれます。
おばあちゃんは寝たきりでなにもできません。
二三年前から目が見えなくなり、耳も聞こえなくなりました。
何か話しているような感じですが、何と言っているのか私にはわかりません。
おかあさんは、家で仕事をしながらお婆ちゃんの世話をしています。
決まった時間にお婆ちゃんにごはんを作って食べさせ、毎日2回はお婆ちゃんの体を拭き、そして、できるだけお婆ちゃんに運動をさせてあげていました。
「おばあちゃんはね、一人で私たち5人兄弟を育てくれたんですよ。すごいでしょ。今は、子どもみたいだけどね」
お母さんがそう言いながらおばあちゃんのほうを見ると、聞こえていないはずのおばあちゃんがにっこり笑いました。

 ある日、学校から帰ると変なにおいがしました。
そして、お母さんが悲しそうな顔をしておばあちゃんの服を洗っていました。
「お母さん、どうしたの」
「おばあちゃんに、なにかよくないものを食べさせちゃったみたいで、もどしちゃったのよ。私がもっと気をつけてあげたらよかったのに。おばあちゃんに悪かったわ。かわいそうに」
「えっ?でも、おばあちゃんは自分で何もできませんよ。お母さんが全部しています。かわいそうなのは、おばあちゃんじゃなくて、お母さんです。」
私は思わず反論しました。いつも、お母さんひとりが、とても苦労しているように感じていたからです。
でもお母さんは、
「おばあちゃんはね、にこにこ笑っていてくれたら、それだけでいいのよ。」
そう言っただけでした。

 そのころ私は、1年間通った日本語学校から、大学の別科に入学したばかりでした。
やっと慣れた環境から、また新しい環境になり、しかも、勉強はずっと難しくなりました。
進路のことも考えなければなりません。
私は子どものころから、何をやっても長続きしないタイプでした。
日本に留学したのは、そんな自分を変えたかったからです。
でも、日本に来てからも、目標がはっきり定まらず、
中途半端な生活を送っていました。そんな自分自身が嫌で、私は劣等感の塊でした。

 そんなある日、私たちは、学校の社会体験の一環として、止揚学園(注*1)を訪問しました。
止揚学園で生活しているのは、みんな、知能に重い障害を持っている人たちです。
私は、おばあちゃんのことを思って少し気が重い感じでした。
山と畑に囲まれて、鮮やかな色の建物が立っていました。
見ているだけで、楽しくて心がはずんでくるようなところでした。
建物の外側ばかりでなく、止揚学園の中は、どこも明るい色で溢れ、私は、まるで幼稚園時代に戻ったようで、ウキウキしてきました。
食堂に入った私は、自分の目を疑いました。
そこにいたのは、幼稚園の子供なんかじゃなくて、私よりずっと年上の中年の人だったからです。
私は、どうしたらいいのか、わからなくなってしてしまいました。そのとき、何人かの人が、にこにこしながら、
隣に座るように誘ってくれました。その笑顔は子どものように純粋で、きれいです。
そして、おばあちゃんの笑顔と同じでした。
食事中、止揚学園のみんなが作った歌を歌ってくれました。
「弱いことってステキやなあ。できないってステキやなあ。」
私は、歌を聴きながら、涙がとまらなくなってしまいました。

私の両親、そして周りの人たちが教えてくれたのは、強くなること、何かができるようになることです。
できないことは悪いことでした。だから私は、いつも、自分はこれもできない、あれもできないと思って、
劣等感の中にいました。そして、一人で食べたり、トイレに行ったりすることができないおばあちゃんは、
周りに迷惑をかける存在だとしか思えなかったんです。
でも、この歌を聴いているうちに、
いままで心に溜まっていたストレスは、涙とともに流れ出していきました。
「いい子だね。よくがんばってきたね」
と、止揚学園の人たちが、私の頭をやさしくなでてくれているような感じがしました。

 私は、止揚学園から帰ってきてから、おばあちゃんのそばで、
お母さんといろいろおしゃべりするのがいちばんほっとする時間になりました。
おばあちゃんは、ふとんの中で、いつもやさしい顔をしています。
そして、私がときどき「おばあちゃん」と呼ぶと、私に向かって、にっこり笑ってくれます。
 昔のおばあちゃんも、何でもできる強い人でした。
でも、今、布団の中にいるおばあちゃんは、どんなに弱いことでしょう。
お母さんから離れたら、生きていけません。
でも弱いおばあちゃんは、笑顔でお母さんに応えています。
声は聞こえないけれど、いつもありがとうって言っているようです。
ほんとうに強いのは、何でもできた昔のおばあちゃんでじゃなくて、
笑顔だけでお母さんの心を温めているおばあちゃんなのかもしれません。
声は聞こえないけれど、いつもありがとうって言っているようです。

 日本に来てからの2年間。たくさん勉強して、いろいろなことができるようになりました。
でも、私が学んだ最も大切なことは、できないことのすばらしさ、弱いことのすばらしさです。
私は、ありがたいことに、体も丈夫だし、こうやって話すこともできます。
だから、これから一所懸命いろんなことを吸収して、社会役立つようになっていかなければなりません。
でも、できること、強いことばかりを目指すのではなくて。
弱さの中にある大切な心を忘れないようにしようと思います。
おばあちゃんが、笑顔だけでお母さんを、そして、私を支えてくれたように、
私も、強い力ではなくて、弱いけど、暖かい気持ちで、周りの人を支えられるようになりたいです。



編集者注記
注*1 止揚学園:止揚学園は、昭和37年(1962年)、多くの人の協力を得て、福井 達雨氏により設立された知能に重い障害を持つ子どもの施設です。
 止揚学園は、共同体制を持つ施設であり、障害児差別に対する抵抗運動、教育運動を起こすなど、真摯な活動を続けています。

「止揚」とは、哲学用語で、「アウフヘーベン」というドイツ語を訳したものです。ふたつの全く異なったものが激しくぶつかり合ってつぶれ、その中から今までとは違う、新しいひとつの統合体が生まれてくるという意味があります。
知能に重い障害をもった子どもたちと、障害をもたない私たちとがぶつかり合い、今までになかった新しい生き方が生まれる場にしたいと願い、止揚学園と名付けられました。

止揚学園のホームページはこちらをクリックしてください。

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