2003年外国人による日本語弁論大会 発表原稿 |
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「言葉で伝えきれないもの」 |
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スウ クオポン |
みなさんは、言葉とはどんなものか考えたことはありますか。 自分の言葉で気持ちを伝えることはできますか。 言葉が通じないときに、心の通じ合いもできなくなったという経験は、みなさんにはありますか。 3年前に中学校を卒業して、中国の西安から北海道にやってきた私は、留学生として日本の高校に編入しました。 同級生たちとできるだけ早くコミュニケーションを取れるようになりたいという気持ちで、日本語の学習に励む毎日でした。 しかし、言葉は通じ始めたものの、なかなか心が通じあうようにはなりませんでした。 そこで私は、言葉というものに対して考え始めたのです。 中国にいた頃は、長電話をすればするほど、友情が深まり親友になるケースがたくさんありました。 学校での出来事に対する愚痴から、クラスの新たなカップルの誕生まで、まるで音声型の週刊誌のようにおもしろおかしく喋り、そうやって言葉の数を重ねていくうちに、お互いの心が通じ合うことを実感していました。 このように、中国では言葉を使って心が通じ合うことができました。 それなのに、どうして日本では、この法則は通らないのでしょうか。 思春期の変化によるものだけなのでしょうか。 高校に入って放送部に所属するようになりました。 1年がたったころに、その放送部に地方のラジオ局から番組への出演依頼が来ました。 そこで、顧問の先生は、私に15分のトークを任せてくれました。 これは責任重大だと感じ、一生懸命準備しましたが、当日までパニック状態から抜け出せませんでした。 本番になり、ようやく自分のコーナーが始まりました。 リスナーの方と電話でトークをはじめ、私は用意していたネタを連発しながら、ウケを狙おうとしました。 しかし、反響は予想していたほどではなく、成功とは言いきれない結果に終わりました。 あとになって録音を聞いてみたら、確かに2人の会話は盛り上がっていたものの、その言葉のやりとりは、ただの情報の交換でしかありませんでした。 言い換えれば、言葉と言葉のぶつかり合いではなかったのです。 そこで、私はヒントを見つけたのです。 確かに、言葉とはとても貧弱なもので、限界もあり、私たちの気持ちは必ずしも言葉で伝わるとはいえません。 言葉数をたくさん重ねるだけでは、お互いの言葉がすれ違い、トークは簡単に成立しますが、コミュニケーションというものは成り立ちません。 会話が言葉のぶつかり合いを生み出し、気持ちの共有というものを提供してくれます。 最近の日本社会を思い起こすと、家庭内ではちゃんとした会話が減り、さらに学校では友達との情報のやりとりは多いものの、会話の内容は薄くなりがちです。 もし日本人同士ならば、そのように情報交換の会話で気持ちが通じ合えるかも知れませんが、仮に私たち外国人と日本人がコミュニケーションをとろうとすれば、単なる情報交換だけで出来上がった会話では、お互いの文化や背景など知らずに、気持ちを通じ合えることは簡単にはできないのです。 中国では、数さえ重ねていけば気持ちの共有ができたのに、日本ではそれができません。 より日本語という言葉を詳しく知りたいと、私は大野晋さんという学者が出している本を読んでみました。 そこには「現代の日本社会の人々が、言語力に欠けている」とかかれていました。 「文明の正確な、精しい理解、把握力に欠けた日本人の行動は、実に言葉を的確に読み取り、表現する力の一般的な低下に応じて生まれてくるものだ」と、大野さんが主張しています。 少し深い話になってきましたが、実は言葉というのは、私たちの予想以上に、重要な役割を果たしているのです。 それは、考える力というものです。 外国人にとっては、その国の言葉を知らないことで、文化や背景なども知りようがないということに当てはまります。 日本人にとっては、言葉でぶつかり合わないということは、自分たちの考えをどんどん失い、自分たち自身が消えていくことに結びつきます。 本質的な結果として、現実から逃避してしまうこととなります。 私は日本に来てから、いろんな出会いがありました。 一言「まいど!」で終わってしまう学食のおばちゃんもいれば、一緒にいて相談に乗ってくれる親友もいます。 1つ1つ見ていくと、私たちはすべて「言葉」というものでつながっています。 言う言葉の数だけがあれば十分だという中国にいたときの甘い考え方に代わり、こんな大切なことを、もしかして日本でしか感じ取ることができないものでしょうか。 それは、変わりつつある日本語だからなのでしょうか。 言葉にならない気持ちもあれば、真剣に言葉でぶつかり合って、気持ちを分かち合い、心の距離が近くなるのもあります。 そして、言葉で通じ合えないときに、分かち合おうという気持ちによって言葉が通じたように感じる場合もあります。 何かを伝えるために生まれてきた言葉は、必ずすべてを伝えきれるのでもありませんが、きっと私たちに何かを感じさせてくれると思うし、その気持ちで私たちはつながっていけるはずだと思います。 これからずっと先、こうやって、たくさんの人々とつながっていけたらいいなと私は思っています。 ありがとうございました。 |
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