2003年外国人による日本語弁論大会 発表原稿 |
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「僕を変えてしまった京都」 |
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シモン ウォジツキ |
僕の祖国ポーランドは東西ヨーロッパを結ぶ交易の道の中間点に位置しています。 その地の利の良さがかえって災いし、長い歴史の中で、何度もドイツやロシアなどの諸外国による侵略や分割などの憂き目にあってきました。 まさに“激動の歴史”を経てきたといっても過言ではありません。 ポーランドの人々の心の中に治らない傷が残っていると僕は思います。 その傷が私たちを悲観主義者にしています。 夢を持ちたくても持てない。 明日は良いことがあると思いたいけど思えない。 毎日の生活で精一杯で夢を持つ余裕がない。 すべての努力は生活するために終わってしまいます。 僕には大学を出た時二つの選択がありました。 一つはポーランドに残って、そのうち間違いなく彼らみたいになってしまう道、もう一つはこれまでの人生に“さよなら”をして自分の居場所を見つける旅に出る道、僕は旅を選択しました。 日本への留学、京都との出会いが僕を永遠に変えてしまうとは、全く予想もしていませんでした。 京都に着いた最初の瞬間から何ともいえない心の安らぎを感じました。 桓武天皇がここを平安京と名付けたのはこんな気持ちだったのではないでしょうか。 京都には歴史があり、文化があり、美しいものがあり、信心深くない僕だけれど、こんなにも心が動かされて、祈りたくなってしまう時も少なくありません。 この街なら怖れるものなんか何もない。 空に近づくほど高く飛ぶことが出来るはずだと感じました。 その時僕は自分の人生を向上させるようにすると決心をしました。 そのために夢を実現します。 僕の夢は建築家になることです。 子供の頃から建築に興味がありました。 しかし、進路と結びつける方法を知らないで、与えられた環境の中で精一杯勉強をしてきました。 デザインが生活に密着している京都に留学でき、なんだか運命的なものを感じています。 たくさんの感動と同時に「本当にいいものには、技術とは関係なく心がある」という一言との出会いが僕に勇気を与えました。 一年間の留学生活の中から、はっきりとやりたいことがわかり、自分の背後から押されるように突き上げるものがあります。 目指すのは、人を優しく包み込む空間づくり。 工学的発想からだけではなく、芸術、哲学、文学などの文化的視点に立った豊かな環境をデザインするスペシャリストになりたいと考えています。 僕の夢は悲しい歴史に由来する暗いイメージのワルシャワの街に、明るい光が満ち、優しい風が吹き抜けるような心地よい空間をつくることです。 小さな物からでも、毎日の生活の中に、感動と喜びを与える事が出来たらと思っています。 僕の夢が叶えられたらそれは京都との出会いのおかげです。 もちろん夢を実現させるのは決して簡単なことではありません。 大きな快感だったりする時もあれば、そのすべてを引き裂いてしまいたいと思う時もあります。 でもそれは本当の人生の姿で、山もあれば谷もある。 僕は素晴らしい人生を送りたいが、楽な人生をけして望んではいない。 僕はひたすらひたすら努力を続けていると、必ずものごとがはっきり見えるようになると思うからです。 僕を待ち受けている絶望の闇から抜け出したい。 すべての真理真実を知りたい。 きっといつの日かそうなれるはずです。 道が険しくても僕は安心しています。 自分を見失いそうになったらここに、この京都の街に戻ればいいからです。 |
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