2003年外国人による日本語弁論大会 発表原稿
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「私の決意−日中文化交流の架け橋となるために」
シュウ ヘイ
 十年ほど前、故郷の無錫で、日本の「百円ショップ」に相当する「二元ショップ」が沢山できました。
 しかし間もなく人々は、「安かろう、悪かろう」の商品に失望し、更にそのブランド商品も多くは偽物であることを知りました。
 この商法は人々の不満と苦情を引き起こし、新聞やテレビにも批判が溢れ、ほどなく「二元ショップ」のブームは去りました。
 この時、ある地元新聞社は「二元ショップ」に対する厳しい批判とともに、日本にも「百円ショップ」があり、人気が集まっていると紹介し、豊かな生活を送っているように見える資本主義社会には貧富の差があり、貧しい人々は百円ショップの、安いが粗末な商品に耐えて生活しているのだと指摘しました。
 当時高校生の私は「そんなんだ。日本にはこんなものに満足している可哀想な人がいるのだ」と思いました。

 四年前、念願かなって私は留学生として日本に来ました。
 日本に来て、初めて「百円ショップ」に行ってみました。
 そこに並んでいる商品は中国・韓国製品を中心に品質もよく、いわゆる偽ブランド商品はありませんでした。
日本の「百円ショップ」の経営者は、知恵を絞って「良質・安価・高い実用性」のある商品を提供し、消費者の人気を博していることを知りました。

 そして、長い間私は、日本と日本人に対して、誤解をしていたことに気が付きました。
 外国事情いわゆる異文化を紹介すると言う観点から考えるとその記事は私に日本を誤解させました。
 その記者は結果的に読者に対し、無責任だったと言えるでしょう。

 お互いの文化を理解し且つ尊重することこそが文化交流の目的です。
 異文化の間には見えない「河」が存在します。
 これを越えるたそには「架け橋」が必要です。

 文化交流の架け橋として、私たち留学生は大変期待されていると思います。
 日本と母国の二つの文化の架け橋となるため、私は精一杯の努力をしたいと思っています。
 この大役を果たすため、「日本と母国の文化交流の担い手」について考えてみました。
 今日は日本留学4年間の体験を通して、異文化交流において最も大切なこととして、次の三点を提唱し、私自身の実践課題にしたいと思います。

 1番目は、まずマスメディアの情報を鵜呑みにしないと言うことです。

 度々訪問する小学校の幼い生徒から「中国人は何でも食べるの?」とか「中国人がスリムなのはウーロン茶のおかげなの?」とか聞かれます。
 確かに中国は広くて食材が豊富です。特にSARS騒動の時、媒介動物として「ハクビシン」などが報道された時、「何でも食べる中国人」が印象づけられました。
 又ウーロン茶のテレビコマーシャルではスリムなモデルの映像で中国人像が作られました。
 幼い彼らもかっての私と同様、マスコミの報道で実体とかけ離れた認識を持ってしまいました。
 文化交流の架け橋になるには、マスメディアに操られることなく、正確に文化を紹介すべきだと思います。 可愛い質問に「私は初めて飲んだウーロン茶はサントリー製よ」とか「日本に来て初めて、中国人は食べない刺身を食べたのよ」とか答えています。

 二番目は自分達の眼鏡の色で相手方の文化を評価しないことだと思います。

 
日本で食べる中華料理の味は相当に日本風になっています。
 中国人は日本人の作る中華料理を食べて、日本人の料理の腕はなんと低いと思うでしょう。
 中国人の作る日本料理に日本人も又同じ評価を下すことでしょう。

 日本人に招待された中国人が、中国の作法通り、料理を少しずつ残したら、その理由を「食べきれないぐらいの御馳走だった」とは理解せず、中国人は何でも食べ残す「礼儀知らず」と思われるでしょう。
 逆に「乾杯!乾杯!」の呼びかけに断るのは失礼と思う日本人が盃を重ね、ついに悪酔いしてしまうのも習慣の違い=眼鏡の色の違いと思わずにはいられません。

 これらの例で分かる通り、それぞれの国が持つ文化や価値観を正しく認識し、自分の側の尺度だけで相手方を測ることをしないことが、異文化の間に存在する「河」を乗越える基本だと思います。

 三番目は「face to face」で、血の通った交流は最も大切だと思います。

 文化とは人と人が付き合う中で生まれるものと思います。
 自分が異なる文化の中に身を置いて「face to face」の交流をすることがその文化の理解に役立つことをこの四年間の生活体験を通じて知りました。

 先日有名な人の講演会を聞く機会がありました。
 その先生は「現在の日本では、多くの人がマスメディアの報道を無批判に受け入れ、創造的社会を建設する能力を失いつつある。
 もっともっと現場へ出かけ、自分自身の目で見、耳で聞き、手で触り、判断をしなければならない」と言うものでした。
 私は国際交流がまさしく同じだと思いました。
 多くの人々が異なる文化を体験し、それぞれの文化を理解してもらうため、私たち留学生は日本でも、母国でも、努力したいと思います。
 人と人とが顔を合わせるとき、国境も、言葉の障壁もなくなります。そして、本当の人間としての連帯が芽生えると確信しています。

 ご静聴ありがとうございました。



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