日本で得た知識や経験 「自然の美しさと人間の心」 |
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チョウ リン 張 琳 |
こんにちは! 大阪駅を発車した時は満員だった汽車も周囲から聞こえる声は日本語ばかりでしたが、その日本語を話す人も段々少なくなり、外の景色も暗くなり、逆に私の不安が大きくなりかけた時、「間もなく終着駅福知山、福知山です」とアナウンスされました。 やっと私は本当に留学生としてスタートするのだという決意と同時にほっとした気持ちになりました。 昨年12月北京で伊藤先生から京都短期大学と近くの景色の写真を見せてもらいました。 美しい自然とマッチした校舎、特に満開の桜の花は私の心をとらえました。 「サクラ」「サクラ」と日本の「サクラ」のメロディーが自然に口から出るようになりました。 私は中国でも有数の大都市天津で生まれ育ちました。 毎日の生活も高いビルと多くの人々の中での生活で自然とのかかわりはほとんどありませんでした。 多くの人々に取りかこまれていても自分は一人孤立したように思う毎日でした。 先生に「今からスタートですよ」と励まされ、先生の自動車に乗せてもらいましたが、夜も9時30分ともなれば人は少なく駅の周囲のビルも低く、今までの生活とは別世界のように思われました。 やがてすぐ「あれが福知山城ですよ」と言われ、見るとライトアップされた城と夜桜が満開でした。 思わず「きれい」と声を出すと先生は「張さんを歓迎しているのですよ」という言葉に私も何かそのような気分にさせられました。 さっそく私は翌日1人で歩きまわりました。 高いビルはほとんどなく、日本式の二階建ての家が一軒づつ並び、道も迷路のように入り交じっています。 どの家にもきれいな花やきめ細かく手入れされた植木が家の周りに植えられ、日本人の自然への親しみが生活の中にとけ込んでいるように思いました。 中でも私が感動して再三おとずれるようになったのが「土師橋」という由良川にかかった橋です。 橋の前まで来ると急に広がるようなアーチがかかり、そのアーチから吊り下げられた橋は、周囲の自然を生かしながら最新の建築技術によって作られており、時には白い鶴が水面すれすれに飛んだりして、私は何回この橋まで来ましてもその景色に見とれます。 日本人の自然の美しさの追求の意識が高いとは聞いていましたが、私は美しい自然が毎日が楽しくなるようです。 それと比較して中国では自然を保護する意識が低く環境汚染に対しても政策が不十分で、天津では澄んだ青空はほとんど見られません。 日本に来て美しい自然、きれいな住居環境は人の気持ちも変え、心も落ち着いてくると思います。 福知山城のおかげで6月に全く偶然に江橋さんという日本人と知り合いました。 その時、彼は「日本の城を10カ所巡りたい」という気持ちで「ひとり旅」をしてきました。 江橋さんから彼自分で作った日本風なティッシュ箱をいただきました。 彼は親切にしてくれた人や自分があげたいと思った人に差し上げ、喜んでくれる笑顔をもらえるのが何より作って良かったと思っています。 その時から手紙で何通もやりとりしました。 日本全国旅行中の見聞をいろいろ聞かせていただきました。 手紙の中で「若い頃より旅行が好きで大きなスクラップ帳10冊以上作っていました。 真面目そうな張さんを信用して今回の旅行ノートを読んでもらいたく、送ることにしました」と書いてありました。 やはり信頼関係が国籍に関係ないですね。 私も旅行ノートを拝読して約束通りに送り返しました。 人間と人間の一番大切なことは互いの信頼関係だと思います。 そして江橋さんの旅行への熱心さに対しても感心しています。 毎回旅行に行く時は2、3カ月前から計画を立て、一冊のノートに切ったり貼ったりしながら、スケジュールをたてて本を何冊も読んで下調べをします。 旅を終えてから紀行文を書いて写真を貼って一冊の“自分流のアルバム”を完成させます。 旅行っていうのは風景を楽しむだけではなく旅行先の歴史、文化、人間のことも旅行の欠かせない部分です。 これは江橋さんから学んだことです。 さすがに人生では出会えなければよかった人がありませんね。 9月2日の収穫祭という田の中での国際交流祭は私に対して国際的なゲートが開いてくれたような気がします。 黄色の肌の人、黒い肌の人、白い肌の人が皆んなで一緒に竹で食器をつくり、楽しく食べたり、踊ったり、歌ったりして兄弟のようになりました。 花火が打ち上げられ、笑顔が照らされた時、皆んなの心は一つになりました。 この時刻がぜひみんなの心の中で永遠に残るように願っていました。 あの場面、あの気持ち、あの雰囲気は将来戦争もなく、偏見もない平和、元気な世界を作るには微力でも尽くしたいと強く決意させられました。 人々がほんの少しでも愛を差し上げれば世界は美しい人間になれます。 日本に来て半年、私は多くの人々から色々な事を学びました。 中でも美しい自然と人と人との心の交流でした。 私はこの経験を母国中国に伝えていきたいと思います。 ご清聴ありがとうございました。 |