将来の方向性や夢
「血で血を洗えるものか??」
 ヌール エルナッハース
Nour Elnahas



皆様今晩は。

 私はカイロ大学文学部日本語・日本文学科の大学院生です。
只今、大学院で日本近代文学の夏目漱石と明治時代の思想について研究し、修士論文を書いているところです。

私が初めて来日したのは1994年、国際交流基金・海外日本語学習成績優秀者研修によるものでした。
それから四年後、再び来日し、またその翌年の99年に京都大学の私費留学生として入学することになりました。
その研究期間が終了し、一旦エジプトへ帰国しましたが、さらに研究を深め、修士論文を書き終えるために今年の春、京都に飛んでまいりました。

 私はよくこんな質問をされます!!ヌールさんはなぜ日本に来て日本のことを勉強していますか?ヌールさんの夢はなんですか?
 私は、日本文化や日本文学は日本人の心や生活をより豊かなものにしていると思っています。
そこで、それらを、まだまだ日本のことを知らないエジプト社会に紹介するためにカイロ大学教授をめざしています。
そして心の中には、それらを紹介することにより、近代エジプト知識人やエジプトの子供達だけでなく、大人からおじいちゃんおばあちゃんに至るまで、いろんな人に夢や希望を与えたいという夢を抱いています。

 私の研究したところ、漱石は明治三十三年から二年間に渡って色々な不安を抱きながらもイギリスに留学して、先進国イギリスと日本との相違、又、イギリスの文明とその矛盾に直面し、日本の一人の知識人・文学者としてどう生きるかについて深刻な思考をめぐらせました。
これが彼の全作品を貫く生涯のモチーフになっているのです。

私もこのような不安と将来への希望を抱いて、はるか遠いエジプトから日本へ学びにやってまいりました。
私も日本で学ぶ中で家族と離れて過ごす寂しさや金銭不足による苦しさ、更には自分の研究していることが本当にエジプト社会に役に立つのかという疑問などにより益々不安感が強まってきました。
又、エジプトにいる家族や友人と違う世界を経験したことにより、彼らと今までとは価値観や話題が変わってきて、自分自身でも凄くプレッシャーを感じたり孤独感を感じたりしています。

 しかし、私は日本で学ぶことで、一層、物事を大きく捉え、鋭い目でエジプトや日本を始め世界を洞察し、より平和で豊かな世界になるよう貢献したいと強く願っています。

 そんな矢先に、世界中を脅かす大きな事件が起こりました。

 9月11日のアメリカ自爆多発テロ事件です。
まるで雷の音のように体中に大きな衝撃を受けました。
私はその時、混乱し、どうしようかと迷い、悩み始めました。

何故このようなテロが起こるべきなのでしょうか?とてもひどいこととしか言いようがありません。

しかし、その後、間もなくテロに類するもっとひどい、恐ろしいことが散々起きてきました。

一つは、事件に関連する確実性のない報道によって起こりました。
実行犯がまだ明らかでない段階で、イスラム教徒がやったという決断的な報道により、私を始めとする多くのイスラム教徒は非難と偏見の目で見られることになりました。

また、それよりひどいのはイスラム教に詳しくない人々ばかりが出演しているテレビ番組が多く、あいまいで、皮肉っぽい言い方で話をしている場面をよく見ました。
あのとき、私は正直に申しますと、日本はまだ、閉鎖的なんだなあと感じがしました。
日本のマスメディアが、私が見た限りでは中立的な二つ三つの番組を退いた他は、偏りのあるものばかりで、一般の日本人は事実を知ることができないのではないかと、とても残念に思い、そしてまたとても寂しい感じがしたのです。

 もう一つはアメリカのテロに対する軍事的報復政策が採用され、戦争は起こりました。

アメリカがどこにあるかさえ知らない大勢の人や罪の無い一般市民の命が犠牲になってしまうのです。

テロを撲滅するためには果たしてこの政策がいいのでしょうか?血で血を洗えるのでしょうか?
私はテロリストをどこにいても撲滅したいという気持ちは皆さんと変わりませんが、誤爆などで犠牲者が出る事を恐れています。

ここで、世界の人々にメッセージを送りたいのです。

ユダヤ人もキリスト教徒もイスラム教徒も黒人も白人も、人間とは助け合うものです。
決してお互いに憎しみ合うものではありません。
人類はもっと仲良く豊かに暮らせるはずです。
本来、人生とは自由で楽しいものなのに、欲望が人類をむしばみ、愚かな戦争を引き起こしたとおもいます。

私は日本に来たときに「思いやり」ということを学びました。
まさに、今、必要なのはこの思いやりだと思います。
私が研究している漱石の根本思想の一つは「個人主義」ということです。
それは、人間がお互いの自由を認め合い、お互いの気持ちを尊重し合うことを説いています。
この考え方が個人を越えて、国籍、人種、宗教の違うあらゆる人々と分かち合うための一つの大事な行為だと思います。
そこに、私が大切におもう「思いやり」の本質が存在していると信じています。
機械や知識だけが人々を豊かにするものではありません。

 この町、京都から私の声は世界中に届き、絶望した人々にも伝わることを願っております。

私たちは愛を持つ人間です。
私たちの家族、社会や国家の安全を願い、幸せを作り出すため力をあわせましょう。
人生とは自由で、すばらしいものです。
子供たちには未来を、老人には平安を与えるために世界中が団結しましょう。
お互いを思いやり、尊重をしましょう。

 最後に、私のような僅かな力ででも日本人に学んだ思いやりや漱石の文学や思想を生かしてエジプト人を始め、アラブ世界と日本人のお互いの協力や理解を深めるように、頑張ってまいりたいと思います。

 以上私のスピーチを終わらせていただきます。

 御清聴どうもありがとうございました。
おおきに。

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