将来の方向性や夢
黄金の絆
−中日両国の仏教交流について−

 リ カビン
李 賀敏
Li Hemin




 仏教徒としての私は京都が好きです。
というのは、悠々たる千二百年余りの歴史を持つだけではなくて、至るところでお寺の姿が見えるからです。
知恩院の梵鐘、東寺の五重塔、清水寺の舞台などは京都の歴史と仏教の教えをいきいきと物語っているでしょう。

 日本の仏教が538年に公伝されて以来、中日両国の仏教親善交流はかつて悲しい事件もありましたが、途絶えたことのないと言っても過言ではないでしょう。
伝教大師最澄、弘法大師空海、栄西禅師など入唐、入宋僧及び鑑真和上、隠元禅師などの渡来僧によって、今日の日本仏教に多大な影響が与えられました。
一方、中国は輸出のみならず日本からいろいろと恩恵をもらいました。
周知のように中国仏教の四大霊場が世界にも知られています。
その内、観音菩薩の浄土と言われる浙江省の普陀山は、入唐僧の恵蕚により、開かれたのです。
それは、恵蕚が五台山参拝後、観音像を棒持して帰国の途中、海路の普陀山による時、船がとどまって少しも進みませんでした。
これはおそらく観音の意志に反するだろうと思って、船からおりて観音像を奉安したことに由来するのです。
普陀山は現在、広く日本を含む世界から信者が集まるところとなっています。

 中国の清の時代に入ると仏教は衰微していました。
近代中国仏教の「中興の祖」と評される楊文会(1837−1911)は、南京に金陵刻経処を設立し仏典の刊行、普及に取り組みました。
特に南條文雄先生の協力により、中国で失われた三百種近くの経論を求めて、これを出版しました。
これらの経典は中国近世ないし近代の仏教復興と弘通に大きな役割を果たしました。

 近代、特に戦後から国交正常化の前に、両国の仏教交流は大きなチャレンジと窮地にさらされました。
にもかかわらず、日本佛教界が、中国人殉難者遺骨収集と送還事業、「日中不戦の誓い」署名運動、鑑真和上円寂千二百年遺徳奉賛大法要などのイベントを通して、双方の交流を地道に展開しました。
1967年に日中友好宗教者懇和会を、1974年に日中友好仏教協会を、更に1994年に日中韓国際仏教交流協議会を相次いで創立されました。
特に後者は、故/中国仏教協会会長の趙朴初居士が、東アジアの仏教交流の歴史を踏まえて、提案した日本、韓国、中国など三国仏教徒の「黄金の絆」に応じて結成したのです。
毎年、いろいろな形で交流を進めています。

 その一方、中国側は、文革大革命により破壊された寺院を修復したうえで、日本佛教界各宗派ゆかりの中国の寺院内で、天台宗祖師顕彰碑、恵果/空海記念堂、道元禅師得法霊蹟碑、鳩摩羅什記念堂などを建立して、友好を深めました。

 今年10月11日に、奈良唐招提寺の鑑真和上霊廟のそばで、「黄金の絆」の提唱者である「趙朴初居士之碑」の除幕式をおごそかに執り行いました。
天台座主渡辺恵進猊下を始めとする日本佛教界の各宗派の大徳が全国から出席されました。
私も参加いたしました。
涙が流れました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
これは約半世紀に渡り、両国の仏教交流事業に従事された居士の御苦労を顕彰するものです。
いや、それは友好の証しとして後輩の私たちを見守って、励ましてくれるのではないでしょうか。
「頑張りなさい」という声が聞こえてきたように思いました。

 私はいかされています。
この留学の願いがかなったのは全く皆様のおかげです。
この恩恵報謝のため、又親善交流のさらなる活発化のために、私は微力ながら、できるかぎりのことをしていきたいと思います。

 ありがとうございました!

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