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日本で得た知識や経験 「負けるが勝ち」 |
| ジョシュワ・ウィークス Joshua Weeks |
| この間、お世話になっているホストファミリーのおばあさんからおもしろい話を聞きました。 日本では「負けるが勝ち」という慣用句がある、という話でした。 僕はその日、ホストのお母さんと小さなケンカをしていたので、おばあさんはその解決法をアドバイスしようとしたのです。 「負けるが勝ち」というのはつまり、自分が賛成していなくても周りの人の意志に流されたり、自分が悪くないと思っても謝ったり、自分のプライドを犠牲にすることで結局自分が得をする、ということです。 「私はずっとこうして生きてきて、今は友達がいっぱいいて、楽しいのや。 お兄ちゃん(僕のこと)もね、日本語上手やけど、日本人の心がまだわからへんやろ?」とおばあさんは言ってくれました。 この話を聞いて、僕はいろいろ考えさせられました。 アメリカ人と日本人の心理の違いとか、集団主義と個人主義とか、両国の子供の育て方とか、そして僕は、アメリカ人は、これで何が学べるのかということも考えました。 僕のホストファミリーには2歳と5歳の子供がいて、ホストのお母さんとよく子供の育て方やケンカの解決のし方について話をしています。 日本では、ケンカなどをする時、お互いの行動を読み、自分の行動をそれに合わせて大ゲンカを避けることが好ましいと、お母さんが言いました。 これを以心伝心と呼びます。 しかし子供達は小さい頃にまだこういったことができなくて、自分が考えたことをそのまま口に出してしまいます。 年をとって行くにいれ、だんだん他人と調和して接することができるようになると、お母さんが続けました。 僕の考えでは、このような社交性はおばあさんが言っていた「負けるが勝ち」にとても似ていると思います。 日本ではこのように、周りを見て、自分から合わせようとする行動が社会化と見られているようです。 さらに一生を通して、このことが人間の成長と思われているようです。 アメリカ人はこれで何が学べるのでしょうか。 アメリカでは、争いをどう解決しているのかと質問されても、答えは不明です。 自分が「素直に生きている」と思い、争いが続いても謝らないでいられる人が多いと思います。 日本では、平和そのものが好ましい目的として考えられているからこそ、人は簡単にうなずいたり、謝ったりすることができます。 アメリカ人も平和を自分のプライドより優先したら、ケンカや問題の解決や、平和の達成に役に立つはずです。 僕はその日、ホストのお母さんとケンカしてしまった時、早くこれに気付き、早く謝ったとしたら、絶対に問題が解決され、進んで行けるようになったはずです。 アメリカには、日本人、またはアジア人の「集団主義」を「自我の抑圧」として非難する人がたくさんいると思います。 僕も、日本人の行動の中で個人の意志がなくされているのではないかと思ったことがあります。 しかしおばあさんの話を聞いて、彼女の生活を見て、感覚的に、「集団主義」を通じて幸せになっている人がいる、と分かりました。 毎日何時間も色々な地元に散らばっている友達と嬉しそうに話して、こう生きてきたことを誇り、そして自分の人生に満足感を持っている人だと強く感じました。 ずっと自分の意見をしつこく言って、後悔ばかりの人生よりこの方が遙かにいいと思いました。 そしておばあさんが主体的に生きているということにも注目しなければなりません。 「負けるが勝ち」という事は「自分の意志がない事だ」ともしアメリカ人が批判したとすれば、これは明らかに違うと思います。 おばあさんが選んだ「負けるが勝ち」の生き方は、仕方がないから集団に屈服するといった気持ちより、自分がそうすれば得をする、そして周りのみんなも得をする、という気持ちの方が強いです。 おばあさんが選んだ哲学は平和を尊重する哲学です。 そして平和を高く評価することは誰でも尊敬するべきことです。 結局これは多様性を重視することに繋がります。 僕は、留学生として来日し、ここで日々を過ごし、自分と違った考えを持つ人と前より接する機会があり、もっと尊敬できるようになったと思います。 世界にはそれぞれの文化があり、それぞれの生活方法もあり、そして僕らはこの多様性を考慮しながら生きて行くべきです。 これは、何よりも、僕の日本での体験から学んだことです。 そして自分と違った考え方、例えばアメリカ人なら「集団主義」をよく見て、よく分析したら、自分が学べるものを発見するかも知れません。 僕もこれからケンカした時はおばあさんの話を思い出すと思います。 なぜ平和よりも自分のプライドを守ろうとするのでしょうか?いい答えが出ないかも知れません。 逆に「負けるが勝ち」のやり方は全ての場合に有効じゃないかも知れません。 「調和」より大切なことがあるかも知れません。 誰でも、たまに自分のプライドを犠牲にしても、たまに自分の考え方を少し変えても、それは自分にとっても、そして周りのみんなにとっても、いいことだと思います。 |